How to Live as an Artist.

ただ過ぎる時間をいとおしく綴る。昔みたいに。

移動時間に過ぎた日を思う。

今年も二月が来ました。

大好きだけどとても苦手な…なんと言うかアンテナの立つ一か月。

でも、今年は一月の上旬から曲も沢山作ったし、詩も書いていたし
10年前よりはバランス的に成長してきたのか。どうなのか。

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この間、高崎に行ってきました。
用事は特に何もなく、音楽教室が連休だったので、
帰って来れなくても誰も困らないので…そんな事を考えながら下り電車に飛び乗り。

本当はもっと遠くに行くつもりだったのだけれど、
電車の遅延とかで高崎で足止めされて、拍子抜けて。
そういう時に進もう、とか、進みたい!と思うとイレギュラーに対しても
人間はやっぱりイライラしてしまうから。
「今日休みじゃん…どうでもいいか」と高崎をふらつく事に。

ここから先は「旅のまとめ」ではないです。

何も考えずにぶらぶらしながら考えていた事を。

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こんがらがっている。
連続性の糸や感情...色んな物が複雑すぎてたまらなくなる。

ほんの一瞬、写真を撮る為に無機質なものたちの角度を考える。

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もっと、こんがらがってる!
もっと、ぼんやりしてる!

わけわからん!

そんな、何とも言えない青春の殻みたいなのがあって。

高崎。山田かまちの詩集を親が持っていたのを幼少期によく見ていた。
改めて若さと向き合うのも良いかもしれない。
あと数年で30代になると若さに対する目線もコンプレックスになり得る。
いや、必ずなるだろう…自分の思考回路。知ってる。

いま27歳になってロックの世界の「27歳」について考える事が多い。

そこにある「憧れ」というものを「崇拝」する気持ちが
もう自分の中には他人事としてある事を見つめ直す。
今の自分にフォーカスを合わせる作業。これが中々に難しい。

あれ、俺にとってロックは現実なのか憧れなのか…よく判らん。

でも確かに月日の流れを感じる事は増えた。
同時に自分が恵まれていないなんて言う事はないのだ、と思う。

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自分が時代で一番新しい音楽を鳴らす可能性があって、
実際周りにいる音楽仲間皆に色んな事を言われて、自信を持って音を出して…
とは言え、これと言う何かを残した訳では無く。

それってもう自分の努力を超えた場所で起こるなにかに対しての感情で。

そうそう、チャットモンチーの「こころとあたま」がお気に入り。
(そればっかり最近言ってるな…。)

「笑って暮らせる一生の中で 面倒な顔を捨てては拾った」

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バンドをやろうと思ってる。
この間から久しぶりにデモをコツコツ作り始めてて。

ギターやピアノだけ口ずさみながら、フレーズを組み立てて
そこにノートにどばーって書いてある言葉を組み込んでみて。
Bメロまでのデモで既に「売れ線だね」っていう言葉に案外傷ついたりして。笑

とはいえ自分ではもっとリハビリを長くしないと駄目かと思ったのだけど、
打ち込むスピードなんて寧ろ早くなっていて…なんと言うか。

疲れてると駄目なんだなぁ、と思った。


そうそう、高崎。
午前、午後と二食を高崎の町のお蕎麦屋さんで。
あら町「名代 生そば 大むら本店」

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九藏町「そば処 笹や」

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温もりをさんきゅー。

蕎麦を食べて割と酔っぱらいながら歩いていた高崎中央銀座。

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この中央銀座アーケイド、去年の大雪の時に崩落してしまったらしい。
青空が広がっていて、斬新と言うか…悪くは無かった。

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ピンチをチャンスに、という事で新しく横丁的な通りとして生まれ変わるらしい。

大雪でアーケード崩落。ピンチをチャンスにした高崎・中央銀座 - エキサイトニュース


日本はどこに行っても活気が無さそうで、ある。
旅人が孤独な思いをしない為に、ほんの少し寂れている感じも必要なのだ。

既にちょいと横丁風味の営業もしてた、のかも…。

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また来たいなぁ、と思う町がここ一年でどんどん増える。
横須賀も、三島も、郡山も、高崎も…普通に生活していると
係るきっかけがあまりない土地だったと言うのもあって、
自分を開いていったり、知っていったり…というか、
大切なものを守ろうとしすぎて飽和していたのかも知れないなぁ。

反省はしないけど、すこしだけ思うところはある。

そう、去年は二回奈良を訪ねた。

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小学校三年生の時に同級生が奈良に引っ越しをして転校してしまって、
そいつが幼稚園の時から一番の親友だったから物凄い悲しくて、

小学校二年生の時に両想いの女の子も転校してしまって、
その夏に両親が離婚したってのもあって、割とやさぐれてたんだけど。
「親友」「女の子」「家庭」が全部一年くらいで無くなっちゃったら...ねぇ。

で。

高崎に行った次の日、その親友と突然会うことになって川越で飯を食べた。

そいつは奈良に引っ越してからも数回、俺の家に遊びに来てくれたりしてて。
話してて思い出したんだけど和光小学校には
「いちょう祭り」ってのが10月にあって、学年ごとに地方の踊りを踊るんだけれど
転校して一年以上経って、全く練習に参加してないそいつを
無理矢理引きずり込んで一緒に踊ったりしてたらしい。
(それ、改めて考えると結構熱い話だ…!笑)

そういえば小6の時は俺が八王子に引っ越してたから、
泊まりに来た時に学校のある経堂から八王子まで一緒に電車で帰ったのだけれども
偶然乗換駅の町田の駅前でデビュー前のキンモクセイが路上ライブをしてて
二人で並んで一緒に聴いてたな。
ってかあれも、お前か!笑

で、最後に会ったのが中学校一年生になる前とかかな。
なので親友とは言え15年ぶりだったのだけど、
「今日、営業で川越に行くから昼飯食おう」とふらりと来て
小一時間喋って、車であっさり浦和に行ってしまった、笑

まぁ、多分そういう塩対応(テレビで言葉を覚えた)が俺には心地良いのだろう。。

んで、交差点三つ分だけそいつの車の助手席に乗って。
歩こうと思ったんだけど、折角だしお邪魔して。

血管みたいにルートを指すナビを見て

「しかし、世界が狭く感じるなぁ」
「昔は色んな意味で広かったんだよ」
「本当、子供と大人は住んでる世界が違う」

なんて話をして。
あんなにも奈良が遠く感じてたからこそ
大人になったら行きたい場所に行かなきゃ駄目なんだな!と思ったよ。

また近いうちに。
次はお酒を飲んで少しくらい色々話そう…。




世界は生き方によって広くもなるし狭くもなる。

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川沿いの町にて。

僕はTwitterを熱心に更新しているので
(どこに行ってもスマホを見ている訳ではないのですが、、、)
その道中をブログでまとめてもなぁ…と言うのがあるのですが
これは改めてネットに残しておかないとなぁ…
と、思う瞬間と言うのは前からありまして。

「140文字で呟いてると、後で思い返すこと」が減るかもな、と。
色んな景色や地球の息吹に耳を澄ませて…そういえば、
昔よりはそれがそのままどこかから降ってくるように、
音楽になってなかったりもするのかも知れない。
でも、それは僕自身が音楽とまだ距離を置いているから、と言うのも
多分にありまして。
音楽を通さないで心を動かすストレッチをしているのかもしれない。

そんな訳で先日訪れたのは生まれてはじめて降りた「柳瀬川」
小学生の時、二年間川崎の登戸(正確には宿河原)に住んでいたのだけれど
僕の母校の和光学園の和光世田谷小学校には
「多摩川学習」なるものがあって、釣りをしたり、化石を掘ったり
まぁ、そんな中で一度生活排水が流れ込んで汚くなった川が
少しずつ再生していく…みたいなイメージが割と懐かしくて。

なんなんだろうな、あのなんとも言えない臭い。

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子供が投げた石、水面に広がっていく波紋。
その水の環を眺めていると、やたらと懐かしい気持ちになって。

その波紋、石が落ちる音、直ぐに静けさを取り戻す川の流れ。
その世界の法則が不思議で楽しかった。

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行き交う東武東上線には色んな種類の車両が走っていて少し面白い。
首都圏の西に向かう私鉄は
小田急は青」「京王は赤」「東急はステンレスボディ」みたいな
何となくそう言う統一感が当たり前だったから、
青、赤紫(ロイヤルマルーンと言うらしい)、
オレンジの新車、メトロの車両、東横線の車両…乱雑だ。
(青の8000系と言う車両は1/17にこの辺りの運行は終了したらしい)

柳瀬川の駅前は昔はニュータウンであったであろう寂れた団地。
実際は寂れて居ないのかも知れないけれど…まぁ、よくある昭和の団地。
その中にある地味でどこか空っぽな感じのする「ぺあも~る」

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団地内の商店街はシャッターの下りた店も多いのだけれど、
この吊ってある紙のデザインなんだろう…混沌。
カラフルな輪ゴムをぶちまけた感じ?サイケだ…。

あと、

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二階の柱が鮮やかな朱色で大きい神社の建物みたいでちょっとおもしろい。
お昼過ぎだったのだけれども、もう逆光が眩しい。
日焼け止めを塗った方がよかったかも知れない。


僕は迷わずそんなお蕎麦屋さんへ。
左手のそばをうつ所の前を保育園児達がお散歩して
先生に「今日はおそば作って無い~」と残念がっていた。

なるほどね、そう言う感じなんだな。

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このぺあも~るのお蕎麦屋さん「そばきりや 燻風」さんで
僕も生まれて初めての経験を。

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野菜てんぷら蕎麦は美味しくいただき、そのあと詞を書きながら
だらだらと呑み、おつまみメニューを見たら「たこ焼き」と書いてあったので

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蕎麦の後のおつまみにたこ焼き。
居酒屋営業のある店でもあんまりたこ焼きは無い気がする。
団地で色んな需要があるのかもね。

まぁ、ほろ酔い(と言うよりは若干酩酊に近いふらふら)で
再び川沿いを歩き、隣駅のみずほ台まで酔い覚ます…つもりが
ついファミマでサッポロラガーを買ってしまい、呑み歩き。

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途中、工事をしてて歩道の無い富士見橋の隅を渡り
国道463号線の所では歩道橋から延々と見える国道の先に
少しずつ曇ってきた寒々しい空を眺め、その脇の大きい
「砂場」の看板を見つつ坂道を登ってみずほ台へ。

何となく妙な空気でした。
到るところにお地蔵さんが経っていて…なんとなく淀んだ空気。
ニュータウンやその周辺は何となく嫌な気を感じるところもあって
ところどころそんな場所を歩きつつ
(缶ビール持っててよかったー!って感じだった)
みずほ台の駅へ。

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このみずほ台の建物の…駅舎?の中に
よくある飲食店が数店あったのだけれども(ロッテリアとか)
そこにあったお蕎麦屋さん「ふじた家」さん。

のぼりを見てがっつりはしご酒&はしご蕎麦を決め込む決意。

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はしご酒。
夫婦で切り盛りする店内には創業当時のパネルなんかも飾ってあって
昔は座敷の席だったみたい。

「もう、長いんですか?」とおかみさんに聞いたら
「はい、でも来月でおしまいなんです」と。

駅の片隅の蕎麦屋で流れる時間は団地のそれとはまた違うけど
何となくしみったれていて(僕にとっては良い意味で)落ち着いた。
うっかり冷酒を呑み過ぎたなぁ。

かなりしょっぱい鴨せいろを食べ、こういう汁物で酒を呑む人には
割とたまらん感じだったのだけれども。
ラーメンとかよりずっとしょっぱくて、お願いしたらそば湯を出してくれて
安心しましたよ。

最近のお店は蕎麦を注文するとお願いしなくても、そば湯が出てくるから
久しぶりに「そば湯お願い出来ますか?」って聞いたな。

駅舎と同時に創業したお店も来月までかぁ、と
何の思い入れも無い町だけど若干しんみり。
近所の皆さんも、ふらりと行ってみてはいかがだろうか。

ホームの立ち食いそばとは全然違う感じで懐かしい気持ちになった。
川越の西口に地下飲食店街(だった地下のシャッター街)にも
一昨年まで尾張屋と言うお蕎麦屋さんがあって、
何回か行ったんだけれどもね。

尾張屋さんはそばと言うよりきしめんを一押ししてたけれども、
結局きしめんは一回も食べれなかったな。
(とかいって、実はこっそり営業してたらどうしよう…笑)

こうやって昭和の店がなくなる中、時代の流れと言うか
川越にも500円でピザが食べられるCONAが出来ました。

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手軽にピザ食べて、色んなビール飲めるの嬉しいけど
でもピザってデリバリーの影響で高いイメージがあるだけで
ピザ500円にサラダとか頼んだ上に800円のビール二本飲んで
テーブルチャージもあってそんなに安くすまないんだけどね、笑

一人で行きやすい店ってやっぱり蕎麦屋だなぁ…。
良い感じのお蕎麦屋さんで、良い感じな憂鬱と哀愁を感じつつ
下らない悩みって本当に下らないなぁ、と再認識する作業。

仕事とか嫌なことが多くて。
今までにもましてどうでも良い悩みだなぁ、と。
(仕事がどうでも良いと言う意味では無い)

乾杯する気持ちでも無いのに相手が居るのも面倒くさいし。
うん、他人って言うのはどこに行っても面倒くさい。

昨日も言っていたんだけれども音楽をどうせやめられないんだから
音楽の無い世界に連れて行ってくれないかな…。
だれも音楽なんてことに必死にならずに、町も静かで
どれだけ落ち着くことだろう。
心穏やかに違うことを楽しめるだろう…これも、ありえないけど。

そんなことを思ってしまった。(しまった しまった…)
ふろーむ、茜色の夕日。

ってな感じで朝からここ最近の凄く日常的な休日のことを綴って見ました。


やっぱ、ツイッターのまとめみたいですな。

無理しているみたいだ。

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人間と言うのは多かれ少なかれ自分にしか分からない心の傷があって、
その心の傷は何気ない誰かの言葉や表情で、
傷を作った時よりももっと痛かったりもすると思う。

直ぐに殺人現場で包丁で刺されたみたいに倒れてしまいたくなるけど、
なかなかそう言う事をすると周囲の視線が…と言うのがやはりあるし
誰もみていないところに逃げていきたいけど、そんな場所は多分無いし。

仕方がないから周りを気にして、生き辛さを隠して、笑って、
なのに一人の時は泣いてばかりいて、
誰も攻めずに周りの話をしっかり聞いて、礼儀但しく、誰かの思いを抱えて。

「誉められもせず、苦にもされずそう言う人」

そう言う人になりたくなんてないのだけれども。

「は?お前わがままじゃん?笑ってなくね?」と思う人も居ると思うけど
そういう瞬間は僕にとって重く、重く心の傷になって残ってます。


実際、目を閉じて、耳も塞いで、息も止めて、海底に沈みたいような、
悲しい事に僕にとって日常と言うのはそう言うものです。

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「物凄く些細な事だ、大丈夫。」と捉えていても涙は正直だから。

一人でいると目の下がだんだん震えてきて、
気がつくと涙が頬からあごの辺りに伝ってきて、
その後に風が吹くとやたらと“そこ”がひんやりと冷たいのだ。

この交差点、昔歩いた時はまだこの傷は無かったな。
とか
もっと自分に色んな事を求めていたのにな。
とか

まぁ、過去の自分への後悔、憎悪、取り返せない失敗や、
間違ってきた選択肢…過ち。
どうでも良いと思っていた物事が、とても大切だった事とか
そういうもう自分ではどうにも出来ない今を生きると言う事の重さ。

それを世界は広くて自分なんて小さな存在だ、とか
神様が決めた運命だ、とか
逃げ道を見出そうとしたって、別にその傷は痛むし、涙はこぼれる。
どうしようもなく。

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今日は悪夢を見て真夜中に飛び起きた。
昨日、昼から飲んでたから寝る前にあまり酒を飲まなかったからか。

お酒を飲まずに睡眠薬を飲んで寝ると直ぐにこうなる。
昼からずっと飲んでいて有る程度酔っていたから大丈夫かと思ったけど。

お酒も飲まずに睡眠薬も飲まないと、枕に頭を乗せただけで
叫びたくなる。
実際叫ぶ事もある。
首を左右に何度も振って、手のひらで頭をバンバン叩いて、
疲れて少し落ち着くと「俺どうしてこんなんなんだ」って
それは誰からみても変だし。

皆こっそりそうなのかもしれないけど…とりあえず違う気がする。
心の限界をとっくに越えたところでも淡々と流れる時間は
痛みを増幅しながら、無理をしていかないと生きていけない現実を
鋭利に繰り返し、繰り返し突きつけてくる。

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こうして何の脈絡も無く綴るような文章も、
最早自分が何のために生きているのか、そう言う類の生への肯定を
受け入れられることなど無いな、と

生まれる前に戻りたい、とどうしても思ってしまう自分への
慰めみたいなものなのかもしれないし。

 

 

 


知らない町は楽だ。
記憶の無い世界に少しでも近づける気がして。
せめて誰の顔も浮かばない町に居たいし、そこで静かに時間が過ぎてくれるなら。

この日は何故かチャットモンチーの「染まるよ」を聞いてた。
20歳の時に精神病院に4ヶ月くらいかな?
入っていて出てきて夜中に虚しく部屋で見ていた「トンスラ」と言う
有名になる前の吉高由里子と温水さん、加護ちゃんが出てた深夜ドラマ。
その主題歌で大好きな曲。テレビから流れ出すと泣いてしまって。
さっき書いていた涙もろさを最初に感じた曲でもあり。

今でも一番好きなテレビドラマかも知れない。
爆発的に売れた新人作家が数作目で小説をかけなくなり、
その自己顕示欲や虚栄心を捨てる様をとことんコメディとして描いてた。

一度成功して自分に対しての自信が芽生えて、
期待に応えていこうと思っても現実的に自分の限界を感じて挫折。
でも、温水さんの(あの風貌だし)下らない助言とか行動で
純粋な執筆活動の喜びを思い出して書くのだけれど、
ライバルはどんどん成功して、それを自分を対比して
結局追い詰められて自殺することまで考えはじめる。

結局、彼女は最後まで書けなくて、
温水さんに「自分を許してあげても良いんじゃないですか?」
って言われてたっけ。

(この文章だと伝わらないけど、超コメディタッチのゆるゆる深夜ドラマです)

拘っていた事がうまく行かなくて、その世界で成功できなくても
それが、人生の全てでは無いかもっていう世界と
「染まるよ」のちっぽけな女子の、でももの凄く大きい失恋ソングが
相まって、毎回、毎回号泣してたっけか。

「あなたのくれた言葉 正しくて色褪せない でも もう いら ない」

「正しくて色褪せない」全ての過去に「でも もう いら ない」と
力強く言う困難さ、二十歳の時から引き摺ったまんまで
どうしようもないな…とはいえ、ずる賢くなんとか27歳まで生きてきて

失恋とかそう言う凄くパーソナルな出来事の持つ傷からの回復。
それが失恋だけじゃく僕にとって永遠のテーマみたいなものでもあるし、

今日だってそのテーマを追いかけているわけだなぁ、と。
絶望ではない、けど希望に満ちてもいない…
そんなもんだと分かっては居るけれど。。。

 

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何も廻らず。

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冬は色々なものが整っている気がする。

何か「目的」というものに疲れてしまった気がしたので
特に明確な一日のビジョンを持たずに出かけた。
夜、母親の所に餃子を食べに行く約束をしておいてあったので、
噛み合わない感じになっても暇を持て余して部屋で過ごす事も無い。
退屈になりそうだったら早めに母親を訪ねて呑んで話してればいい。

この日は世間はセンター試験二日目。
昔暮らしていた国分寺に行こうと思って西武線に乗ったのだけれど、
ちょっと足を延ばして東小金井へ。
中央線ユーザーも用事が無い時に降りる事は無いであろう東小金井駅

降りてしばらく商店街を歩いたところに
(言い方は失礼だが)薄汚れたクリーム色の建物があり
乱雑としているようでとても自然で、確実に芸術的で。
映画のセットを見ているような気持ちになる整然さだった。
こういう偶然が生むのか、人間の無意識が生むのか判らない整然さが
どうにも冬の街には溢れている気がする。
それは暑いと人間が(あるいは僕が)それだけ注意を注げる物事の視野が
狭まるという事なのかも知れないけれど。

東小金井は高校生の時に付き合っていた彼女の女子寮があったので
放課後に何度も降りていた。
その時はまだ古びたホームと地味な駅舎で
その古び方は東京~高尾の中央線の駅の中でもかなり上位だったと思う。
何と言っても国鉄201系(オレンジの中央線)で通学をしていたし、
時間は流れたな、と思う。

このセンター試験に向かう少年少女と僕達は同じ歳だったのだ。

その年の冬は誕生日にマフラーを貰って、
割と幸せな感じでそのマフラーを巻いていた気がする。

古びた公園は商店街にもあり、

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俺もこの公園で青春をしていた…のではないか。
俺の見た目はそんなに変わらないし、あまり言う事や考え方も変わらないから
世の中にいる高校生カップルには到底見えなかったと思うけど。

思い出す事も想像以上の情報量だな。
普段閉じている箱の中には随分と記憶を隠しておけるものなのだな。
余程調子が良い時以外はこの箱は開きたくないものだ。

 

数々の凛とした空気を感じつつ、冷たい風も味方にして。

先ずは東小金井駅から武蔵小金井駅まで農工大の方向から歩いていく。
途中に八重垣稲荷という立派なお稲荷様があったので参拝した。

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人間と言うのは不思議で、
以前この駅で降りた時には感じなかったものを感じていたり、
こうして興味の対象外だった場所が途端にとても素敵に思えたり。

穏やかな方が社務所にいらして御朱印を授かった。
直前まで名前も知らなかった場所が急に身近に感じて愛おしくなる。

武蔵小金井の北口まで抜けて、竹林と言うお蕎麦屋さんに入って
ビールを飲みながら詞を書いた。
町のお蕎麦屋さんとして凄く落ち着いていて良いお店だった。

その素敵な場所でどんどんあふれ出た言葉達を一度脳内にしまって、
学芸大学の近くをぐるりとまわって国分寺まで歩いた。
ぼそぼそと独り言とか呟いていたかもしれない。
路地や街道をゆっくり歩きながら
街路樹、フェンス、自動販売機、バス停…
そういうものがある度、なんども空を見上げてみたりした。

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国分寺駅にほど近くに「雲波」と言う素敵な古本屋が出来ていた。
最近は川端康成を改めて読もうと思っているのだけれども、
ここではもっと純粋に興味深い世界の本を買った。
なにも古本屋で川端康成を買い直すこともないし。


素敵な本が並んでいておすすめです。
精神世界みたいな感じや、サブカル的な要素もありつつも、
知的な店主夫妻が読んだ本たちは統一されていて、
人柄を表しているようだった。
どことなく奇妙な趣もあり。

なんだろう、国分寺の駅には東小金井から歩いて行ったら
到着点みたいな感じがしてしまって、
物思いに耽ることも無く、町もじっくりは見ないで
直ぐに中央線に乗って八王子に向かった。

家ではビール飲んで餃子を30個くらい食べて。

録画してあった京都のブラタモリマツコ・デラックスさんの出ていた
ヨルタモリをみたりした。

あ…途中、武蔵小金井の駅のそばの雑貨屋さんでお猪口を買ったので
夜、少しだけ母親と晩酌をしてから寝た。

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と…まぁ、この日はふらふらとお散歩をしていた感じで
直ぐに思ったことを綴ろうと思っていたのだけれども…ちょっと
仕事で疲れてしまっていたりもして…書けず。

この国分寺に行った日からもう一週間経っているのだね。
その間にBjörkの新しいアルバム「Vulnicura」が
リークされたとかで急遽発売になったな。

発売された日は仕事の最中にiTunesでリリースされたと言うニュースを見て
帰宅してもまだ日本ではダウンロード出来ないようだったので
夜のカフェに行って赤ワインを飲みながらゴルゴンゾーラのポテトグラタンを食べ
寝る前にはDLして小さい音で流して、ストリングスの穏やかさに
直ぐに不気味なくらい深く眠って。

翌日は仕事で泉岳寺ヤマハに行ったのだけれども、
あまりにヘッドフォンから素晴らしい響きが連続して泣きそうになった。
地下鉄の中で聴いていたビョークの新譜の
時間の感覚を忘れるような美しく物悲しい質感がたまらなく日常に溶け込んで
あの作品が出て以来、どうにも僕はぼんやり過ごしている気がする。


そうだ、この日は偶然神社に参拝したけれども、
最近は世界のどこにいても、神様に挨拶をしている気持ちになれるので
どうしても参拝をしないでは居られないほどに追い込まれてはいない…
と言う事なのかもしれない。

この間、ここにも書いた弟との写真は実家でフレームに入れて飾った。

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やっぱり写真と言うのは実際に印刷して物質的な意味を持つ事も大切な気がした。

日々、小さい散策をしていて思う事、
出来るだけ丁寧に心に刻みたいし、
音楽や言葉として残せればそれは素晴らしいのだけれども
あまり「残す」事に追い込まれると具合が悪くなるので、
少しずつ、整然と生きていけるようにしたい。

なんとなく冬の人なのだ、僕は。



空よりもっと。

先週海に行った。
と言ってもここのところよく一人で海に行っているから
いつの間にかそれほど特別な事でも無いのだけれども。

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子供の頃は「海に行く」と言う響きは
海水浴のイメージの方が圧倒的に強かったと思う。
日焼け止めも塗らずにビーチに駆けだして、
バタ足もままならず、浮き輪に乗ってたりするような。

横須賀の走水にはとても神聖な走水神社がある。

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去年の6月、そんな事を全く知らずに「海に行きたい」と思って、
何の下調べもせずに横須賀に行って、
浦賀から観音崎、走水まで延々と海沿いを歩いたのだけれども、
導かれるようにたどり着いた場所だった。

家に帰ってからそこがいわゆるパワースポットとして評判な事や
古事記の話なんかを知るわけだけれども。
(偶然、プライベートで訪れていた江原啓之さんにお会いしたし)

去年は境内を綺麗にする工事を行っている最中で
少し参道が散らかっていたのだけれども、すっかり綺麗になっていて。

ここでは大地の強さ、海の強さ、ぼんやりと神様に抱かれている様な
日々についてを光と共に感じることが出来る。
それは同時に3.11で日本人が思い知る事になった
強大で時に残酷な大自然の持つパワーや運命の儚さとかでもあり。

文字や音楽に出来ないものに触れた時に呆然としてしまう。
ただ座っている僕、それは通りすがりの人から見れば
「気持ちよさそうにひなたぼっこしてる男の子」
だったりもして。

感じることも、思うことも多すぎて、もう飽和した心が痛くて、
光が見せる景色に傷ついたりもするのだけれども、
その青の痛みをテレパシーで他人が知る故も無し。
そんな時に黙っている事を許される世界で良かったのかもしれない。

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ところは変わって、と言うほどでもないが漁港へ降りる。

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遠くまできたなぁ、と言う感覚も特に無くなってきて
自分の居場所が良く分からなくなる。
どんなに遠くに行っても日本と言う国は必ずそこで生活をする人々の暮らしがあって
多少の分化の違いはあれど、似たような物を食べ、情報を共有している。
どこまでも身近だ。

死に至る貧困も疫病もそんなには無い。
あえて放射性物質半減期に触れなくても、そんな事はもう皆知ってる。

全ては飲み込まれる。
必然の中にすら善悪を分け、憎み憎まれそうしているうちにやるせなくなる。
気づかない事の幸せに気づかない、なんて歌詞を10代の頃に書いたのだけれども
僕も含め知りたがり過ぎる。傷つくだけなのに…そんな事も多々ある。

そういえば田口ランディがサンカーラで目に見えない放射能
信じて恐れる事について書いていたな。
目に見えないものを気にせずに生活している現地の老人の暮らし。

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漁港の猫だって輪廻転生の中で思うところはあるのだろう、とか
こやつらの魂のひとやすみみたいに見える生に憧れて「良いなぁ」と語りかけると、
「そんなんじゃねぇよ、人間はバカだな」と呆れられてしまったり。

ごめん、ごめん、と言う間もなくそそくさと猫は路地に消えていく。

いつだって猫達は鋭い目つきをしていて、
そういえば僕は猫の笑顔を知らないな、と思った。

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人間はいつだって愚かだ。
本心ではうっすらと優良企業に就職した同級生や
結婚をして子供を育てている同級生を羨んでいないか?
自信が無い。
そこまで自分の生きている現在を肯定なんて出来やしない。

だけどきっと誰もがそう。
人の気持ちなんて軽々しく知った気になるもんじゃない。
分かりあったふり、認め合ってるふり、
作り笑いや嘘の中で生きていく覚悟。

「嘘も方便。方便は大切だ。」

そんな事を精神科の主治医に言われた。
虚栄心からでまかせを言ってはいないだろうか?
ほんのちょっと人を驚かせたくて話を大げさにしていないだろうか?
感じていない感覚を後から上乗せしてでっちあげてないだろうか?
やっぱり自信が無い。

午後、13時前には走水を後にして、馬堀海岸から京急に乗って
快速特急ボックスシートでシリア・ポールのThe Very Thought Of Youを聴いて
すこしウトウトして、渋谷に立ち寄って帰ってきて
夕方からギターのレッスンをした。

この日は帰ってくる頃には雪でも降りそうなほど、
冷たく灰色に空が曇った。
見てきた景色が全て嘘のようだった。


最近は長すぎる一日に途方に暮れる事がある。
音楽ばかりしていた頃は時間が足りないと思っていたのに。

年を取ると時間の流れが早くなる、とか、
楽しい時間はあっという間、とか色んな事を言うけれども
最後がむくわれないとその全ての時間に対して否定的な思いを抱くのだろうな、と
そう感じると必死で今日を楽しもう、と考えるけれども…
僕は僕を許したら身体から魂が離れていく気もしてる。
分らないけど。

笑って「あっという間だったな」と思って正しく死ねるかなぁ。

部屋で割と大きい音でモーニング・グローリーを聞きながらBlogを書いていて
今日(1月20日)も「なんでこんなに長いんだろう」と感じてる訳で。

もう眠い。
酒呑んで寝たい。

Until death comes

どうにも落ち着かなくて深く眠れなくて
朝からもう自分には作れないなぁ…と思う10代の時から大切な
ManualのUntil Tomorrowを流してる。

ぼんやりと考える。と言うか考えさせられる。

人はどんどん成長していき、どこかで弧を描くように年老いて
新しく出来る事も減って、さほど劇的に変化をした未来を
その可能性を感じない日々を過ごすようになるのだ、と。
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綺麗なだけじゃ意味が無いのだ。
人には青さや、未熟さがあってそれが時に想像以上の美しさを持つ。

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自分の可能性を知っているからこそ今の生活が正しいのかが分からない。
毎日本当に楽しくて、その手中のデイドリームに泣きたくなるような思いで街を歩いて、
向かい風や追い風、色々あるからなぁ、生きていると。

何もかもを甘んじて受け入れるほど大人じゃないけれど、
何もかもを捨てれなかったから今の自分が居るし、
なんとも、どうにもできない…新月から満月へ、満月から新月
そんな月の満ち欠けと、生まれて日々年老いて消えていく人々を思う。
そこに自分を重ねてみたくもなる。

今が僕にとってどの月なのかはあまり分からないけれど。

ちょっとずつ毎日心が変わっていく。
ちょっとずつ古い細胞は死んでいく。
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昔の自分にしか出来なかった事に憧れて辛くなることもあるけれど、
身の丈に合った幸せを貪欲に手繰り寄せている気もして…
好きな人が居るって良いなぁ、と思うのであった。

好きな人…今僕には恋人は居ないから(モテない訳では無いんだけれども)
幼馴染...とか。
新年会をかねて同窓会があって、下北沢の鉄板焼き屋さんで皆で呑んだ。

小学校の時から「同級生」と言うよりも僕が個人的にも仲良かった人が
一同に会したのはこの間が初めてだった。

(それはそれは酷い呑み方だったけれども)
それぞれがそれぞれの夢を追いかけて、
それなりになって、でも何かは失って…でも変わらないねぇ、と讃えあって。
そんな尊い時間の喜びや美しさも凄く刹那的で
「また皆で呑もうね!」なんて言っても
このメンバーで集まれるのは…いや同窓会は有るのだろうけれども、
僕の大好きなメンバーで集まれるのは最期なんだろうな、と思った。

 


それくらい、楽しい事も嫌な事も続いてはくれない。
決して後戻りしない宇宙に流れるルールが愛おしくも有り、憎くも有り。
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朝の公園と、昼の見上げた空、ホームから見る夕焼け、終電前の夜の街。

全てを同じ日に見あげて思うのは、
やっぱり失ったものへの思いとか、これから出会う凄い大きな何かとか。

 

目の前にあるもの以上に尊い“何か”

 


言葉にすると意味を無くしてしまうような時間というものへの畏怖が
毎日毎日、時計の針なんかではなくて心が刻んでいる。

そう言う時ちょっとだけ心はチクチクと痛むのだ。

ん、チクタク痛むの方が良いのか?
それじゃ良く分からないか。

 

そうそう先日、磐梯熱海に行った時に、
母が弟と僕の写真を撮っていた。
人生で観た中で最も美しい写真の中の一枚だと思った。
今の自分を、親子関係を一瞬が切り取っている家族写真。

 

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すてきでしょ?



とにかくまだ暗い一月の5時過ぎにこんな文章を綴りたくなるような
そんな夜から朝へ変わっていく眩いこの瞬間。



本日は下弦の月

冬の南風

テレビで早すぎる春一番と言っていた。
何もかもがしっくりこないなぁ…と感じて。

1/5、6で磐梯熱海温泉に母と弟と三人で泊まりに行きまして、
その二日の殆どを福島で過ごしたわけなのですが、

しっくりこない…違和感なんて事を言ったら
50の母と20代後半の僕が高校生の弟の受験の話をしていたら
「あの三人はお父さん、どうしたのかな?」とか、
そう言う事をなんとなく世間は思うのかも知れないし…仕方がないか。

そう。

目をそらせない…何にもない心の部分で
日本人はもう「福島」と言う土地を冷静に処理できないと感じていて
昨日までを過ごしていたんだけど…まぁ、それは事実そうなんだけれど
郡山で散歩していたら捉え方が変わった。

福島第一原発が~という言葉ばかり聞いていると、
自分にとっての福島が薄れていた訳だ。

シリアスな話題だからあんまり思った通りに書くと大炎上だけれども!笑

まぁ、土地が人間に対して怒りを持っていると
それは街にも思いっきり現れるから…
今日郡山と言う町と親しくなれた事で気持ちも楽になった。

言葉はまとまらない。
色んな色や音が優しく響いていた。

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さびれたように見える磐梯熱海の温泉街は
もっと深く意味を持ち、中通り会津を隔てる扉の様な場所だし。

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湯泉神社、源泉神社などと温泉への感謝と水の循環を讃える様な神聖な土地で。
リハビリ病院、足湯、手湯が並ぶ川を上り

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そこから磐越西線会津に向かうとそこ、磐梯山、猪苗代では
もうあるいは一つの隔たりを超えているような世界になる。

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喜多方にはもう今まで思っていた福島とは違う世界があって、
コンビニもATMも駅前にない。
お金も降ろせない、しかも一番近い窓口がどこなのか聴く人も居ない。
そんな駅前だった。

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ラーメンの町おこしだって土地の名前は全国区でも、
ここには相当な覚悟が無いと来れないよな…と。

タクシーの運転手さんは普通の定食を食べたくなると困るらしいです。

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そんな喜多方の市外からは車で数十分離れた場所にある新宮熊野神社
雪をかぶり、つららを垂らした長床はすごかった。
昔は沢山の寺院などが連なる異世界のようだったらしい。
それまでの銀世界なども含めて簡単に想像できた。
その人達の心の中がどんなのかも伝わる程、手つかずの神聖な空気だった。
良い事だけじゃなくて世の哀しみも見てきたんだな。
川越の廃寺になった南院にどことなく似ている。

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お詣りを終えて昼前に市街地に戻ると雨が降ってきた。
酷く冷たいようで、でも恵みの雨みたいにも思える雨だった。


人は大きな流れに逆らわずに生きていく事しか出来ない。
言葉にも音にもならない爆発しそうな感情はすこし、置いておいて
寒いけれど温かいこの町であの人を思いながら
のんびり暮らすのだってきっと良いもんだよ。
いつも通りお酒を呑んでさ、しあわせかもね。

静かに思いを遠くの未来に放ち、
横に居る母親と弟の一瞬の表情にお酒を呑んだ駄目兄貴が
絡んでいく。
一見珍道中に思われるかもしれないそんな二日間が、
僕の心の中では尊い時間であることは確かだし、
そんな風に僕の時間の流れを死に突き進むだけじゃ無くしてくれたのは、
神様たちと、僕の心の神様の対話そして本能。
僕のエゴだけではどうにもならない。半田少年、わかったか!

帰り、カシミアのポールスミスのあったかいマフラーを新幹線に忘れて、
遺失物取扱所で見つかったんだけど、明日からしばらくマフラー無し…。
さぶい。。

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時間をかけて銀世界を見て、その中に人間の営みを感じて、
歴史を思い、名前も判らないご先祖様の営みを思い、合掌し、
救いを求めた神仏の世界を覗き見して、
僕は下らない事を考えすぎるから、それも含めてもっともっと
うまくバランスの良い自分というものに辿り着ける気がしてる。

今年も、去年ほど巡礼をする訳では無いかもしれないが、
とにかく心を裏切るくらいなら他人を裏切る方が正しいのかも知れない訳だし、

人生を楽しもうと思う。

大切な人が出来たらたまには並んで!
今片思いだし~(高校生)

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郡山のホームからコバルトブルーの空が輝き、
漆黒強い風が吹き、雲が乱れていく。
また来たい、郡山。

僕達は何処にだって帰る場所がある。
なにもかもがまだ始まっても居ない命だって数えられないほどある。

僕らは何一つと知らない。

明日を、未来を、それだけじゃない。この世の一番重要なシステムをだ。

僕は知っている。
だけどそれを他人に伝えるのは宗教家に任せよう。
川越での日々に戻ります。

四緑木星の八方塞がりを絶好調で抜けた俺はしばらくは良い事が続いていく。
そうとしか思えない。

さて。。

流行りのわかれのことば 。

 

あいらーびゅー とーきょー。

 

PSブラタモリ観た過ぎて気管にビール吸い込みそう。

 

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おやすみ。