冬の南風
テレビで早すぎる春一番と言っていた。
何もかもがしっくりこないなぁ…と感じて。
1/5、6で磐梯熱海温泉に母と弟と三人で泊まりに行きまして、
その二日の殆どを福島で過ごしたわけなのですが、
しっくりこない…違和感なんて事を言ったら
50の母と20代後半の僕が高校生の弟の受験の話をしていたら
「あの三人はお父さん、どうしたのかな?」とか、
そう言う事をなんとなく世間は思うのかも知れないし…仕方がないか。
そう。
目をそらせない…何にもない心の部分で
日本人はもう「福島」と言う土地を冷静に処理できないと感じていて
昨日までを過ごしていたんだけど…まぁ、それは事実そうなんだけれど
郡山で散歩していたら捉え方が変わった。
福島第一原発が~という言葉ばかり聞いていると、
自分にとっての福島が薄れていた訳だ。
シリアスな話題だからあんまり思った通りに書くと大炎上だけれども!笑
まぁ、土地が人間に対して怒りを持っていると
それは街にも思いっきり現れるから…
今日郡山と言う町と親しくなれた事で気持ちも楽になった。
言葉はまとまらない。
色んな色や音が優しく響いていた。
さびれたように見える磐梯熱海の温泉街は
もっと深く意味を持ち、中通りと会津を隔てる扉の様な場所だし。
湯泉神社、源泉神社などと温泉への感謝と水の循環を讃える様な神聖な土地で。
リハビリ病院、足湯、手湯が並ぶ川を上り
そこから磐越西線で会津に向かうとそこ、磐梯山、猪苗代では
もうあるいは一つの隔たりを超えているような世界になる。
喜多方にはもう今まで思っていた福島とは違う世界があって、
コンビニもATMも駅前にない。
お金も降ろせない、しかも一番近い窓口がどこなのか聴く人も居ない。
そんな駅前だった。
ラーメンの町おこしだって土地の名前は全国区でも、
ここには相当な覚悟が無いと来れないよな…と。
タクシーの運転手さんは普通の定食を食べたくなると困るらしいです。
そんな喜多方の市外からは車で数十分離れた場所にある新宮熊野神社。
雪をかぶり、つららを垂らした長床はすごかった。
昔は沢山の寺院などが連なる異世界のようだったらしい。
それまでの銀世界なども含めて簡単に想像できた。
その人達の心の中がどんなのかも伝わる程、手つかずの神聖な空気だった。
良い事だけじゃなくて世の哀しみも見てきたんだな。
川越の廃寺になった南院にどことなく似ている。
お詣りを終えて昼前に市街地に戻ると雨が降ってきた。
酷く冷たいようで、でも恵みの雨みたいにも思える雨だった。
人は大きな流れに逆らわずに生きていく事しか出来ない。
言葉にも音にもならない爆発しそうな感情はすこし、置いておいて
寒いけれど温かいこの町であの人を思いながら
のんびり暮らすのだってきっと良いもんだよ。
いつも通りお酒を呑んでさ、しあわせかもね。
静かに思いを遠くの未来に放ち、
横に居る母親と弟の一瞬の表情にお酒を呑んだ駄目兄貴が
絡んでいく。
一見珍道中に思われるかもしれないそんな二日間が、
僕の心の中では尊い時間であることは確かだし、
そんな風に僕の時間の流れを死に突き進むだけじゃ無くしてくれたのは、
神様たちと、僕の心の神様の対話そして本能。
僕のエゴだけではどうにもならない。半田少年、わかったか!
帰り、カシミアのポールスミスのあったかいマフラーを新幹線に忘れて、
遺失物取扱所で見つかったんだけど、明日からしばらくマフラー無し…。
さぶい。。
時間をかけて銀世界を見て、その中に人間の営みを感じて、
歴史を思い、名前も判らないご先祖様の営みを思い、合掌し、
救いを求めた神仏の世界を覗き見して、
僕は下らない事を考えすぎるから、それも含めてもっともっと
うまくバランスの良い自分というものに辿り着ける気がしてる。
今年も、去年ほど巡礼をする訳では無いかもしれないが、
とにかく心を裏切るくらいなら他人を裏切る方が正しいのかも知れない訳だし、
人生を楽しもうと思う。
大切な人が出来たらたまには並んで!
今片思いだし~(高校生)
郡山のホームからコバルトブルーの空が輝き、
漆黒強い風が吹き、雲が乱れていく。
また来たい、郡山。
僕達は何処にだって帰る場所がある。
なにもかもがまだ始まっても居ない命だって数えられないほどある。
僕らは何一つと知らない。
明日を、未来を、それだけじゃない。この世の一番重要なシステムをだ。
僕は知っている。
だけどそれを他人に伝えるのは宗教家に任せよう。
川越での日々に戻ります。
四緑木星の八方塞がりを絶好調で抜けた俺はしばらくは良い事が続いていく。
そうとしか思えない。
さて。。
流行りのわかれのことば 。
あいらーびゅー とーきょー。
PSブラタモリ観た過ぎて気管にビール吸い込みそう。
おやすみ。