Until death comes
どうにも落ち着かなくて深く眠れなくて
朝からもう自分には作れないなぁ…と思う10代の時から大切な
ManualのUntil Tomorrowを流してる。
ぼんやりと考える。と言うか考えさせられる。
人はどんどん成長していき、どこかで弧を描くように年老いて
新しく出来る事も減って、さほど劇的に変化をした未来を
その可能性を感じない日々を過ごすようになるのだ、と。
綺麗なだけじゃ意味が無いのだ。
人には青さや、未熟さがあってそれが時に想像以上の美しさを持つ。
自分の可能性を知っているからこそ今の生活が正しいのかが分からない。
毎日本当に楽しくて、その手中のデイドリームに泣きたくなるような思いで街を歩いて、
向かい風や追い風、色々あるからなぁ、生きていると。
何もかもを甘んじて受け入れるほど大人じゃないけれど、
何もかもを捨てれなかったから今の自分が居るし、
なんとも、どうにもできない…新月から満月へ、満月から新月へ
そんな月の満ち欠けと、生まれて日々年老いて消えていく人々を思う。
そこに自分を重ねてみたくもなる。
今が僕にとってどの月なのかはあまり分からないけれど。
ちょっとずつ毎日心が変わっていく。
ちょっとずつ古い細胞は死んでいく。
昔の自分にしか出来なかった事に憧れて辛くなることもあるけれど、
身の丈に合った幸せを貪欲に手繰り寄せている気もして…
好きな人が居るって良いなぁ、と思うのであった。
好きな人…今僕には恋人は居ないから(モテない訳では無いんだけれども)
幼馴染...とか。
新年会をかねて同窓会があって、下北沢の鉄板焼き屋さんで皆で呑んだ。
小学校の時から「同級生」と言うよりも僕が個人的にも仲良かった人が
一同に会したのはこの間が初めてだった。
(それはそれは酷い呑み方だったけれども)
それぞれがそれぞれの夢を追いかけて、
それなりになって、でも何かは失って…でも変わらないねぇ、と讃えあって。
そんな尊い時間の喜びや美しさも凄く刹那的で
「また皆で呑もうね!」なんて言っても
このメンバーで集まれるのは…いや同窓会は有るのだろうけれども、
僕の大好きなメンバーで集まれるのは最期なんだろうな、と思った。
それくらい、楽しい事も嫌な事も続いてはくれない。
決して後戻りしない宇宙に流れるルールが愛おしくも有り、憎くも有り。
朝の公園と、昼の見上げた空、ホームから見る夕焼け、終電前の夜の街。
全てを同じ日に見あげて思うのは、
やっぱり失ったものへの思いとか、これから出会う凄い大きな何かとか。
目の前にあるもの以上に尊い“何か”
言葉にすると意味を無くしてしまうような時間というものへの畏怖が
毎日毎日、時計の針なんかではなくて心が刻んでいる。
そう言う時ちょっとだけ心はチクチクと痛むのだ。
ん、チクタク痛むの方が良いのか?
それじゃ良く分からないか。
そうそう先日、磐梯熱海に行った時に、
母が弟と僕の写真を撮っていた。
人生で観た中で最も美しい写真の中の一枚だと思った。
今の自分を、親子関係を一瞬が切り取っている家族写真。
すてきでしょ?
とにかくまだ暗い一月の5時過ぎにこんな文章を綴りたくなるような
そんな夜から朝へ変わっていく眩いこの瞬間。
本日は下弦の月。