How to Live as an Artist.

ただ過ぎる時間をいとおしく綴る。昔みたいに。

空よりもっと。

先週海に行った。
と言ってもここのところよく一人で海に行っているから
いつの間にかそれほど特別な事でも無いのだけれども。

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子供の頃は「海に行く」と言う響きは
海水浴のイメージの方が圧倒的に強かったと思う。
日焼け止めも塗らずにビーチに駆けだして、
バタ足もままならず、浮き輪に乗ってたりするような。

横須賀の走水にはとても神聖な走水神社がある。

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去年の6月、そんな事を全く知らずに「海に行きたい」と思って、
何の下調べもせずに横須賀に行って、
浦賀から観音崎、走水まで延々と海沿いを歩いたのだけれども、
導かれるようにたどり着いた場所だった。

家に帰ってからそこがいわゆるパワースポットとして評判な事や
古事記の話なんかを知るわけだけれども。
(偶然、プライベートで訪れていた江原啓之さんにお会いしたし)

去年は境内を綺麗にする工事を行っている最中で
少し参道が散らかっていたのだけれども、すっかり綺麗になっていて。

ここでは大地の強さ、海の強さ、ぼんやりと神様に抱かれている様な
日々についてを光と共に感じることが出来る。
それは同時に3.11で日本人が思い知る事になった
強大で時に残酷な大自然の持つパワーや運命の儚さとかでもあり。

文字や音楽に出来ないものに触れた時に呆然としてしまう。
ただ座っている僕、それは通りすがりの人から見れば
「気持ちよさそうにひなたぼっこしてる男の子」
だったりもして。

感じることも、思うことも多すぎて、もう飽和した心が痛くて、
光が見せる景色に傷ついたりもするのだけれども、
その青の痛みをテレパシーで他人が知る故も無し。
そんな時に黙っている事を許される世界で良かったのかもしれない。

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ところは変わって、と言うほどでもないが漁港へ降りる。

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遠くまできたなぁ、と言う感覚も特に無くなってきて
自分の居場所が良く分からなくなる。
どんなに遠くに行っても日本と言う国は必ずそこで生活をする人々の暮らしがあって
多少の分化の違いはあれど、似たような物を食べ、情報を共有している。
どこまでも身近だ。

死に至る貧困も疫病もそんなには無い。
あえて放射性物質半減期に触れなくても、そんな事はもう皆知ってる。

全ては飲み込まれる。
必然の中にすら善悪を分け、憎み憎まれそうしているうちにやるせなくなる。
気づかない事の幸せに気づかない、なんて歌詞を10代の頃に書いたのだけれども
僕も含め知りたがり過ぎる。傷つくだけなのに…そんな事も多々ある。

そういえば田口ランディがサンカーラで目に見えない放射能
信じて恐れる事について書いていたな。
目に見えないものを気にせずに生活している現地の老人の暮らし。

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漁港の猫だって輪廻転生の中で思うところはあるのだろう、とか
こやつらの魂のひとやすみみたいに見える生に憧れて「良いなぁ」と語りかけると、
「そんなんじゃねぇよ、人間はバカだな」と呆れられてしまったり。

ごめん、ごめん、と言う間もなくそそくさと猫は路地に消えていく。

いつだって猫達は鋭い目つきをしていて、
そういえば僕は猫の笑顔を知らないな、と思った。

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人間はいつだって愚かだ。
本心ではうっすらと優良企業に就職した同級生や
結婚をして子供を育てている同級生を羨んでいないか?
自信が無い。
そこまで自分の生きている現在を肯定なんて出来やしない。

だけどきっと誰もがそう。
人の気持ちなんて軽々しく知った気になるもんじゃない。
分かりあったふり、認め合ってるふり、
作り笑いや嘘の中で生きていく覚悟。

「嘘も方便。方便は大切だ。」

そんな事を精神科の主治医に言われた。
虚栄心からでまかせを言ってはいないだろうか?
ほんのちょっと人を驚かせたくて話を大げさにしていないだろうか?
感じていない感覚を後から上乗せしてでっちあげてないだろうか?
やっぱり自信が無い。

午後、13時前には走水を後にして、馬堀海岸から京急に乗って
快速特急ボックスシートでシリア・ポールのThe Very Thought Of Youを聴いて
すこしウトウトして、渋谷に立ち寄って帰ってきて
夕方からギターのレッスンをした。

この日は帰ってくる頃には雪でも降りそうなほど、
冷たく灰色に空が曇った。
見てきた景色が全て嘘のようだった。


最近は長すぎる一日に途方に暮れる事がある。
音楽ばかりしていた頃は時間が足りないと思っていたのに。

年を取ると時間の流れが早くなる、とか、
楽しい時間はあっという間、とか色んな事を言うけれども
最後がむくわれないとその全ての時間に対して否定的な思いを抱くのだろうな、と
そう感じると必死で今日を楽しもう、と考えるけれども…
僕は僕を許したら身体から魂が離れていく気もしてる。
分らないけど。

笑って「あっという間だったな」と思って正しく死ねるかなぁ。

部屋で割と大きい音でモーニング・グローリーを聞きながらBlogを書いていて
今日(1月20日)も「なんでこんなに長いんだろう」と感じてる訳で。

もう眠い。
酒呑んで寝たい。