How to Live as an Artist.

ただ過ぎる時間をいとおしく綴る。昔みたいに。

移動時間に過ぎた日を思う。

今年も二月が来ました。

大好きだけどとても苦手な…なんと言うかアンテナの立つ一か月。

でも、今年は一月の上旬から曲も沢山作ったし、詩も書いていたし
10年前よりはバランス的に成長してきたのか。どうなのか。

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この間、高崎に行ってきました。
用事は特に何もなく、音楽教室が連休だったので、
帰って来れなくても誰も困らないので…そんな事を考えながら下り電車に飛び乗り。

本当はもっと遠くに行くつもりだったのだけれど、
電車の遅延とかで高崎で足止めされて、拍子抜けて。
そういう時に進もう、とか、進みたい!と思うとイレギュラーに対しても
人間はやっぱりイライラしてしまうから。
「今日休みじゃん…どうでもいいか」と高崎をふらつく事に。

ここから先は「旅のまとめ」ではないです。

何も考えずにぶらぶらしながら考えていた事を。

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こんがらがっている。
連続性の糸や感情...色んな物が複雑すぎてたまらなくなる。

ほんの一瞬、写真を撮る為に無機質なものたちの角度を考える。

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もっと、こんがらがってる!
もっと、ぼんやりしてる!

わけわからん!

そんな、何とも言えない青春の殻みたいなのがあって。

高崎。山田かまちの詩集を親が持っていたのを幼少期によく見ていた。
改めて若さと向き合うのも良いかもしれない。
あと数年で30代になると若さに対する目線もコンプレックスになり得る。
いや、必ずなるだろう…自分の思考回路。知ってる。

いま27歳になってロックの世界の「27歳」について考える事が多い。

そこにある「憧れ」というものを「崇拝」する気持ちが
もう自分の中には他人事としてある事を見つめ直す。
今の自分にフォーカスを合わせる作業。これが中々に難しい。

あれ、俺にとってロックは現実なのか憧れなのか…よく判らん。

でも確かに月日の流れを感じる事は増えた。
同時に自分が恵まれていないなんて言う事はないのだ、と思う。

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自分が時代で一番新しい音楽を鳴らす可能性があって、
実際周りにいる音楽仲間皆に色んな事を言われて、自信を持って音を出して…
とは言え、これと言う何かを残した訳では無く。

それってもう自分の努力を超えた場所で起こるなにかに対しての感情で。

そうそう、チャットモンチーの「こころとあたま」がお気に入り。
(そればっかり最近言ってるな…。)

「笑って暮らせる一生の中で 面倒な顔を捨てては拾った」

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バンドをやろうと思ってる。
この間から久しぶりにデモをコツコツ作り始めてて。

ギターやピアノだけ口ずさみながら、フレーズを組み立てて
そこにノートにどばーって書いてある言葉を組み込んでみて。
Bメロまでのデモで既に「売れ線だね」っていう言葉に案外傷ついたりして。笑

とはいえ自分ではもっとリハビリを長くしないと駄目かと思ったのだけど、
打ち込むスピードなんて寧ろ早くなっていて…なんと言うか。

疲れてると駄目なんだなぁ、と思った。


そうそう、高崎。
午前、午後と二食を高崎の町のお蕎麦屋さんで。
あら町「名代 生そば 大むら本店」

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九藏町「そば処 笹や」

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温もりをさんきゅー。

蕎麦を食べて割と酔っぱらいながら歩いていた高崎中央銀座。

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この中央銀座アーケイド、去年の大雪の時に崩落してしまったらしい。
青空が広がっていて、斬新と言うか…悪くは無かった。

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ピンチをチャンスに、という事で新しく横丁的な通りとして生まれ変わるらしい。

大雪でアーケード崩落。ピンチをチャンスにした高崎・中央銀座 - エキサイトニュース


日本はどこに行っても活気が無さそうで、ある。
旅人が孤独な思いをしない為に、ほんの少し寂れている感じも必要なのだ。

既にちょいと横丁風味の営業もしてた、のかも…。

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また来たいなぁ、と思う町がここ一年でどんどん増える。
横須賀も、三島も、郡山も、高崎も…普通に生活していると
係るきっかけがあまりない土地だったと言うのもあって、
自分を開いていったり、知っていったり…というか、
大切なものを守ろうとしすぎて飽和していたのかも知れないなぁ。

反省はしないけど、すこしだけ思うところはある。

そう、去年は二回奈良を訪ねた。

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小学校三年生の時に同級生が奈良に引っ越しをして転校してしまって、
そいつが幼稚園の時から一番の親友だったから物凄い悲しくて、

小学校二年生の時に両想いの女の子も転校してしまって、
その夏に両親が離婚したってのもあって、割とやさぐれてたんだけど。
「親友」「女の子」「家庭」が全部一年くらいで無くなっちゃったら...ねぇ。

で。

高崎に行った次の日、その親友と突然会うことになって川越で飯を食べた。

そいつは奈良に引っ越してからも数回、俺の家に遊びに来てくれたりしてて。
話してて思い出したんだけど和光小学校には
「いちょう祭り」ってのが10月にあって、学年ごとに地方の踊りを踊るんだけれど
転校して一年以上経って、全く練習に参加してないそいつを
無理矢理引きずり込んで一緒に踊ったりしてたらしい。
(それ、改めて考えると結構熱い話だ…!笑)

そういえば小6の時は俺が八王子に引っ越してたから、
泊まりに来た時に学校のある経堂から八王子まで一緒に電車で帰ったのだけれども
偶然乗換駅の町田の駅前でデビュー前のキンモクセイが路上ライブをしてて
二人で並んで一緒に聴いてたな。
ってかあれも、お前か!笑

で、最後に会ったのが中学校一年生になる前とかかな。
なので親友とは言え15年ぶりだったのだけど、
「今日、営業で川越に行くから昼飯食おう」とふらりと来て
小一時間喋って、車であっさり浦和に行ってしまった、笑

まぁ、多分そういう塩対応(テレビで言葉を覚えた)が俺には心地良いのだろう。。

んで、交差点三つ分だけそいつの車の助手席に乗って。
歩こうと思ったんだけど、折角だしお邪魔して。

血管みたいにルートを指すナビを見て

「しかし、世界が狭く感じるなぁ」
「昔は色んな意味で広かったんだよ」
「本当、子供と大人は住んでる世界が違う」

なんて話をして。
あんなにも奈良が遠く感じてたからこそ
大人になったら行きたい場所に行かなきゃ駄目なんだな!と思ったよ。

また近いうちに。
次はお酒を飲んで少しくらい色々話そう…。




世界は生き方によって広くもなるし狭くもなる。

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