How to Live as an Artist.

ただ過ぎる時間をいとおしく綴る。昔みたいに。

朝を奏でる

f:id:Yuhi_Handa:20150209062324j:plain

晴れた日の午前というのは、太陽の動きを午後よりも強く感じられる。
月の満ち欠けとか、気圧配置とか色々なものに
心も身体も反応して、結構具合悪くなったりもするのだけれども
そう言うのって科学的、医学的じゃなくて良いと思っていて。

自分がそう感じたらそうなのだ、と何事にも思う。
それは朝の神社の境内にすーっと神様が通るみたいに、
自分の神経が洗われるような…自分が例えどこにいてもだけれど。

この日は午後から川越の音楽を楽しむ人達と
ボウリングに行ったりする予定があったので近場に…と言う事で
まずは西武新宿線に乗って上石神井まで。
(しかし、この電車は本川越から小平くらいまでが長い…)

f:id:Yuhi_Handa:20150209064429j:plain


陰とか、こんがらがっているものは昔から好きで。
やっぱり一つの芯(電柱)に、色んな使われ方とかがあって雁字搦めになるのは
どことなく人間の日々に似ているし…
別にこの電柱が「本当は自分の足下だけを照らす街灯でありたい」かは
知らないし、さておいて。


石神井から千川通り、青梅街道方面に歩いて行くと「井草八幡宮」がある。f:id:Yuhi_Handa:20150209065204j:plain

近くに駅もないから(荻窪西荻窪、それこそ上石神井からバスが近いかな?)
いつもひっそりとしていて。
とても23区内だけど綺麗な気が溢れている好きな場所です。
境内が広くて、日向と日陰のバランスが良いのかな。
強すぎず、弱すぎずとても日々の生活に溶け込む感じ。

この日は寒いなりに陽射しは春っぽくもあり、
まぁ冬晴れっていうのだろうけれども。
これも理由はないけど「しっくりくる」感じだった。

一昨年の秋にリハーサルに行く前に、ここに立ち寄って
小一時間、心を沈めたのが最近、休日を神社で過ごす原点でもあるし、
(それは誰よりも大切な人の助言でもあったし)
特別な場所です。

境内を出て、鳥居をくぐると直ぐに車の行き交う街道。
街は何を讃える訳でもなくても、
生命が繰り返し続いている必然の現象として動いている。

乗用車も、トラックも、タクシーも、パトカーも…。
霊柩車だってそんな象徴かもしれない。
日常じゃなくて、魂自体の一つの転換期みたいな意味では。

f:id:Yuhi_Handa:20150208013510j:plain

 

f:id:Yuhi_Handa:20150208013832j:plain


そう言えば秩父に行くと、いつも葬列をみるんだよなぁ。
あれ何なんだろう…セレモニーホールが駅から近いっていうのもあるんだろうけど
個人宅に花輪が並んでいるのもよく見ている気がする。

ちょっとだけ祖父の葬式を思い出す。
八戸の狭い庭ではじめて運んだ棺とか。
玄関の門の段差が結構大変だった事とか。

 

 

植物。

f:id:Yuhi_Handa:20150208013900j:plain

 

 

葉の無い樹が立ち並び、ただ僕は似たような木々の枝の先を眺め
「みんな違って、みんな良い」みたいな発想に心の中で
虫唾を走らせてみたり。

f:id:Yuhi_Handa:20150208013618j:plain

尊敬すべき秩序を感じる。あるべき場所にあるべき姿。
そこから全てに正直に生きていられる彼らへの心からの尊敬や、羨みなどなど。
自分の理屈っぽいのに純粋な正しさがたまらなく嫌な事もある。

 

 

 

 

午前10時半過ぎには阿佐ヶ谷に。
今日の目的地はここの神明宮。

毎週第一土曜日に蚤の市( 神明宮我楽多市 )があると記事で読んで
どんなものだか、足を運ぼうと。

f:id:Yuhi_Handa:20150209073402j:plain

川越も28日に成田山別院で蚤の市があるのだけれども
中々それにあわせて休もう、という感じでもないので。

凄く参道は賑わっていて、
僕はここに神明宮がある事をこの日まで知らなかったので、
阿佐ヶ谷の北口直ぐがこんなに整っていると思って居なかった。
毎日をただ通り過ごしていると、日々の中で直ぐに欠落してしまうな、と実感。

それは情報も感性も。

備前焼のお猪口を買って。

さて、
蕎麦屋さん。

f:id:Yuhi_Handa:20150209071515j:plain

南口を商店街からはそれて、荻窪よりの住宅街にある
「手打ち蕎麦 やの志ん」さんで至福の時を。

待っていた訳ではないのだけれども、
適当に街を歩いて、お店の前に着いた時にちょうど
おかみさんが支度中から商い中にひっくり返す所でした。

f:id:Yuhi_Handa:20150209071413j:plain


お蕎麦、本当に美味しかった。
僕は蕎麦通ではないけれども、酒呑みと言う意味で
感動するようなお店だったな。

最初にあったおかみさんとも色んなお話をさせてもらって。
最近フェイバリットな日本酒の「盾野川」がお品書にあったりして、
そんな話もしつつ…さすがにボウリングの前に泥酔するのもなぁ、と
少しだけ控えめに鴨汁で呑んで…いや、幸せでした。

別に何も知らずに街でふらりと入るには申し訳ない感じが。
ありがとうございました。ご馳走様でした。
都心に住んでいる方におすすめの蕎麦屋を聴かれたらここを教えるかも。

 

 

14時には川越に戻ってきて、皆さんとボウリングへ。
アベレージが辛うじて100を越える程度。
まぁ、7年ぶりとかだと思うのでそこまで悪くなかったと思う。
いや、よくも無いのだけど。

駅の近くの以前、数回足を運んだ居酒屋さんで
串揚げや刺身の盛り合わせを食べながら、夜中まで呑み。

「あぁ、たまには人と話すのも楽しいなぁ」なんて感じて。
そういう感情がまだある事が妙にうれしくて、
でも、あんまりその楽しさに慣れたくないな、とも思うし。

今日はBlog書きながら教授のCHASMやÁsgeir
今はMogwaiのHappy Songs For Happy Peopleを流していて。

音楽、仕事、ひとりのじかん。
知らない感情や表現を知っていく喜び。

そんな尊いものに囲まれても繰り返す「ないものねだり」
それが永遠に失って行く若さや、取り返しの付かない過去の失敗や
何に向けられているのかは、ぼんやりとしか分らないけど
回復して行くと同時に年老いていく自分自身を
確かめるように、一歩ずつ。

そんなところでしょうか。

f:id:Yuhi_Handa:20150209073543j:plain


最近読んだ本の事、志賀直哉の事を書こうと思ったのだけれど、
少しだけピアノを弾く時間も欲しいので。

では、今週も良い日々でありますように。