その音で、その静寂で。
10日の仕事が終わって、夜たまらなくなって八王子の親元に。
メンタル的に若干弱っていたと言うのもあって。
どう言う感じか、と言えば仕事で着るYシャツのクリーニングに
行く気力がわかないと言うか…まぁ、そんな感じ。
Lali Punaのライブに行ってきた。
Lali Punaが約10年ぶりに来日公演、2月に一夜限り開催 - musicニュース : CINRA.NET
「Lali Puna Live in Tokyo 2015 with special guest TRAMPAULINE」
だけど、その前に…猿橋に行ってきた!
八王子の親の家から午前中に向かうのに最適な田舎…山梨は大月。
川越からだとえらく遠い気がする。
(特に電車だとね)
世界は想像も出来ないくらい広い事を知っていても、
猿橋からライブハウスに行ったことのある人は少ないのではないか。
そう考えると、自分にしかない人生を生きている気持ちになる。
Lali Punaというバンドを最初に聴いたのは高校一年生の時。
きっかけが微妙に思い出せないのだけれども…
でも、スケッチショウとかも盛り上がっていた時期だったし、
中学校の時からYMOが好きだったのでラジオとかで聴いて
買ったんだと思うのだけれども…。
(Come On Homeと言う曲をラジオで聴いた記憶はある)
「ラップトップは電気羊の夢を見るか?」の時代。
猿橋とエレクトロニカを融合できるくらいには僕も大人になった。
高校生の時からmorrの音楽は好きで。
特にLali PunaのScary World TheoryはMDに焼いて
電車の中でよく聴いていた…15~16才の頃。
ManualのUntil Tomorrowとか
The Go FindのMiamiとか
Ms. John Sodaも、Styrofoamも、DUO505も…まぁ上げたらきりが無いけど
刺激を満たしてくれる今の音楽の象徴が
morrだったりCCO (City Centre Offices) だったり…そういう時代の人なのだ。
電子音響のポピュラリティーは心象風景を奏でるツールになる…と、
盲目的なまでに信じきっていた。
猿橋を歩きながら色々な物を見る。
高校生の時に自分が感じていた全ての事を見ている景色に重ねる。
今いる場所は狭くて、狭くて息苦しいのに
誰かが言う未来は無駄に広い…そんな作られた自由に向かうだけの日々が
ぶち壊せないかな、とシンセサイザーとテレキャスに思っていた。
それを代弁していたような音を奏でるのがLali Punaの…あるいは
The NotwistのMarkus Acherだった。
今でこそ日本のロックシーンと言うのはある程度それを支持する若者がいて
それがひとつのフォーマットとして成り立っているけれども、
この頃…10年前はそうじゃなかった。(と、思う)
僕らはひたすら音楽で食っていく為になにをするべきか試行錯誤していたし
その全てを楽器にぶつけている友人達を見ては
「羨ましい」って思うくらいには俺は彼女とだらけていたし。
でも…誰よりも真剣に音楽と向き合う時間も持っていた、かな。
猿橋で桂川を見て、蕎麦をすすって、ビールを飲み、
中央線でうとうと。
自分の現在の心が当時の自分にどう思われるか。
下らないとわかっていても毎日、考える。
夢で見る自分はまだ音楽に対して真剣に向き合ってる。
そして今の自分もそれに負けじと音楽を続けている自分の心と向き合ってる。
僕にとっての僕はどんな人だったのか。
あの頃の僕をどれくらいちゃんと護っているのだろうか。
呟いた140文字。
「10代の頃から憧れてたMarkus Archerが目の前で音を鳴らしてる奇跡に
心がもぎ取られてるみたいになった。
新宿タワレコの9階で誰とも感動を分かち合えずにいた
音楽ばかり作っていた15才の自分に「早く一緒に音楽しよう?」って
言われてる気がした。寂しそうな彼を向かいに行きたいな。」
サインをもらった。
高校生の頃の自分が必死で探り続けていたおと。
「ポップなのに今までになかった音楽」
を、教えてくれたアルバムにMarkus Archerと握手をしてサインを。
うれしい…心が震えた。
ライブで聴くFaking the Booksの曲たちは偉くラウドで。
それは「大人を馬鹿にするな」といわんとばかりに
子供っぽいけど確かに大人の音楽だった。
よくあるフォーマットに収まりたくないのに
そう言う道を選んだ(もしくは元来そういう類の)友人達の方が評価されて、
悔しいって思わないようにしても、将来への不安が
全ての冷静さを損なうくらい唸っていて。
「あぁ、俺にもそれくらい出来るよ」みたいに思いつつ
実際やってる人の前では、そんな感情はどうにもなんなくて。
とにかく心を穏やかにする時にLali Punaを聴いた。
The Notwistを聴いた。
こんなに格好良いのに「先生」たちに評価されてるあいつらは
それを知らない。
だから、知ってる俺は俺にしか出来ないことをしてやろう。
そんな具合に。
自分より若い音楽家が売れているし、
それをなんとも思わない自分も手に入れた。
今の生活をそれ相応に好きだし、認めてくれている人が多い。
でも、そうじゃない!って声を大にして15歳の自分が叫ぶ。
そろそろ一緒に音楽をしたい、と彼に言われるし、
そろそろ一緒に音楽をしようか、と僕も思う。
心の中で壊れかけていた自分を自分らしくしてくれていた音楽への思いを
その情熱の余韻の中で魘されている様な。
誰にも伝わらない日々を伝えようとする努力だけは
続けていたいと思った。