How to Live as an Artist.

ただ過ぎる時間をいとおしく綴る。昔みたいに。

護られていると言うこと。

さて上洛の続き。

街に出て来てからの写真はこの次の日の方が多い。

京都で毎回のように会う友人の仕事が終わるまで街を歩く。


ここは京都に行く前から立ち寄ろうと決めていたギャラリーH2O。
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京都のアート分化と言うのは本当に独特で、
生活に根付いているので不思議な錯覚に陥る。
おそらく街の歴史がごったがえしていないので
地に足がついている哲学を持っているのかな、と思う。

逆に地に足がついていない人には冷たい街でもあると思う。


今宵堂の酒器展 『男と女のババンバ・バンバンバン♪』と言うのを
何だったかな、ネットの何かで見て。
京都のギャラリー情報とかだと思うのだけれど。

訪れた前日から始まったばかりで。

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ギャラリー全体が銭湯に姿を変えて、
入り口で男女で必ず離れると言うようなコンセプト。

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今宵堂さんのくすっと笑えるような夫婦の酒器たち。
この展示販売の外では熱燗を呑める粋な場所もあり。

先客のおじ様といっぱい杯を交わさせて頂いた。
それなりに寒い二月の京都で熱燗をぐいっと。
日本酒談義に話を咲かせて。
お互い本当に「こいつは酒が好きなんだな」と言うような笑顔で。
別れ際おすすめのお店を教えていただいて。
この時教えてもらったお店に本当に訪れる事になるとは
思っても居なかったので人生と言うのは面白い。

北野天満宮の梅花祭から始まり、タイミングと言うのは自然とあってくる。
何もかもが計算されているような感覚を伴ってくると、
その目に見えない計算式に感謝をしたくもなる。
暮れゆく小路で思う運命論。

もっきり(なみなみと注いで枡に日本酒があふれるあれです)の組み合わせを
購入して、かわいい箸置きも同時に。
生活を豊かにするような一品たち。

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あ、お猪口の写真も忘れてた。

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素面の箸置きをひっくり返すと酩酊と千鳥足になる将棋駒の箸置き。
ほかにも沢山あるのだけれども、一番好きなよっている状態が「酩酊」なので。
なんかdownyを思い出すね。
「酩酊フリーク」っていう格好良い曲があるのです。

第三作品集『無題』再発

第三作品集『無題』再発



そもそも京都では器を買おうと言う気持ちがあったので
もう幸せだよね。
朝っぱらから呑んでいたので、もうほろ酔いモード。

(ってかさっきまでの文章と打って変わって報告みたいな文章ですね)

友人と合流してからの事は文章で書くようなものではなく
凄く友達と会っている時の心の躍動感があったな。

軽くたこ焼屋で飲んだ後、銭湯に連れて行ってもらった。
銭湯のギャラリーに行った後に銭湯に行くのだから笑える。

サウナに入って、水風呂に入ってを繰り返すと
何も考えられなくなっていくような不思議な感覚。
のぼせる…の究極、それを僕に味合わせたいと思っていた、と。

露天風呂のお湯が注がれる音が目を閉じると川の音に感じて
その川に笹が流れて来て、そこに悩みとかを乗せて
その乗せたものが流れて行って心が軽くなっていく事をイメージする、と。
それが座禅とかに近いらしい…凄く判る。

翌日、東山のART FORUM JARFOで行われていたグループ展「ニジイロノタネ」に
立ち寄って、ワークショップ…と言うのか自由に丸に絵をかける所に
その時の話のイメージを書いた。

雑念というよりも、解決しないもやもやの塊。
川は流れていく。
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海でこの黒い塊は蒸発してまた降り注ぐ。
だからまた流す。
それは三条大橋だったり、人によっては銭湯だったり、
どこでもいいけどとにかく流す。流し続ける。


色んな答えを持たない丸が浮かんでいた。

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端っこに。

この京都に行く時に前に書いたけれど、
Mr.Children REFLECTIONを観に行っていて空前の「放たれる」ブームが来て。

どうも「REM」も「放たれる」も映画の為の曲…みたいな感じで
穿って捕らえていたのだけれども逆転したなぁ。

 

「青天の霹靂」をレンタルして見たのだけれども、
これが個人的に凄く好きで。
どうしようもない事を、どうしようもないと受け入れてから
やっと人生の楽しさが見えてくるような…
最高の人生なんてのも、最低の人生なんてのも
多分この世には存在しないのだろうな、と。

世の中には色んな名言や格言があるけれども、
タイミング次第で響くかどうかは変わってくるし
スタートラインは決して平等ではなく、
不意に訪れる悲劇や、因果のような不運は心を削り取っていく。
そんな中で自分が生きている理由を知る為に生きているし、
生きていると理由を教えてくれる誰かと出会うかもしれない。

それがもう過ぎ去った過去になっていても、
思い出の中では人は永遠に強く輝き、永遠に酷く傷ついている。

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「放たれる」という事。
自分が縛られていた何かから開放されていくイメージ。

それが家族や思い出を奪った津波でも、故郷を奪った原発事故でも、
家庭内暴力、いじめ、両親の離婚、学生時代の失恋でも、
人は放たれていかないといけない。

生きると言う事を賛美する事、したいと願う事は
生きている人が自分を肯定する上では永遠のテーマ。

神様が居ても、居なくてもそんなのはどうでもいい事。

その当たり前は、当たり前では無いと言う事が、
自然と受け入れられたなら、どれだけ楽だろう。自由だろう…。
生命が、人間が病の器なら割れる事だってある。
その脆さを否定しても誰も報われないし救われない。

愛に満ちて、絶望に満ちていく。
無意味な飽和から少しずつ自分を放つ。

あれ、流れていくと放たれるとの線引きが曖昧だ。

あぁ、REFLECTIONは全23曲入りのUSBアルバムだとか。
それがどういうものなのか、漠然としかイメージできないけれども、
物凄い熱量が放たれているのだろうな、と。


この日、京都は雨だった。
誰かの悲しみが、あるいは生きた意味が
そっと景色を染めていた。

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淡く静かな清水を回り、五条坂を降り、
学生の笑い声や、観光客の大声を背にバスで東山に抜け、
上述のギャラリーを見てから地下鉄で鴨川に戻った。

 

 

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昨日とは違う「いつもの交差点」があった。
また違う川の音が響いていた。

自分と世界の境界線がぼやけていくような安らぎを感じた。
忘れていなくても、ぼやかしていく事は出来る。
鈍い悲しみ、苦しみにピントを合わせなくてもいいのだけれども、
芸術作品と言うのはその主眼点を描いている事も多い。

悲しみが、悲しみと重なり、それは悲しみではなく
もっと大きな何かに姿を変える。

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雨で寒くて、観光地に行くのも億劫だし
夕方まで烏丸の京都芸術センターで本を読んでいた。

 

 

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真面目に考えすぎて「そういや、お酒飲んでないなぁ…弱ったなぁ」
なんて思って伏見桃山に行ってひっかけたりして時間をつぶし。
昨日教えてもらった日本酒バーに友人を誘って尋ねた。

木屋町の辺りは面白い。

「日本酒BAR あさくら」さんというお店。
今まで友人と呑んだ酒で一番旨かったなぁ。
一生忘れないな…あの酒は。

銘柄とか、味じゃなくて、いやそれも勿論あるんだけれど
全部の思いを呑みこめる酒。

この日はまだ自分の中のどうしようもない恋心とかも
そんなに見えて無かったっけな。

また京都を尋ねて、たまたまお店が開いていたら寄りたい。
狙って呑めるものではないのだ、美味しい酒は。

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帰宅して数日後、考えすぎで久しぶりに知恵熱を出して倒れた。
3月2日の事。

風邪ではなかっただろうけど、ひたすら具合が悪かった。
でも、二月を一日のダウンだけで乗り越えれたのは
この京都の旅があったからなのだろうと思う。

相も変わらずのとりとめのない文章ながらに
やっと京都のBlogを書く気分になれた朝。

まだまだ今に追いつかない。
そもそも何年も前の自分すらまだ消化してないのだから。

どうしようもないな、本当。