How to Live as an Artist.

ただ過ぎる時間をいとおしく綴る。昔みたいに。

新しい孤独の見つけ方

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どこから書いていなかったかな、と思ったら
もう愛知~岐阜を旅して来たあたりからか…。

色々ありました。
本当に色々あったので、言葉にする事が何もなかった、と言うか。
その辺り人間って言うのは不思議で
言葉にしたくなる事は大体、自問自答…自己暗示…そんな感じで
共感を求めるまで行かなくても、自己肯定をするための
一つのプロセスであったりもするから、
満ち足りてしまうと「それはもう心の中で守ろう」と言う気持ちになる。


朝太陽に挨拶をする愛おしさ、その日の下で深呼吸できる喜びや必要性を知っていても、
町が眠っている時に自分が目覚めていて、その中で心の奥で…冬の室外機とかみたいに軋む音が
妙に芸術的でそれを真空に閉じ込めていたいような衝動に駆られる。
孤独が過去や経験を超えて羽ばたく夢を見たい。抱擁を。


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夜行バスで都心を逃げ出して早朝に名古屋駅に着いて、
日の出と共に熱田神宮を参拝して心を律してから
何の計画も立てていなかったけれども、情報として三河湾
島がある事を知ったので、そこに行ってきた。
佐久島という小さな島。

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離島に来るとは思ってもいなかったので
人間と言うのは不思議な行動をするな、と思った。

用事もなくて、目当てのものがあったわけでもなく
それでも遠くに行きたくなる。

島に行く前日にとある方と食事に行き、
それなりに高級な白ワインを飲んで、美味しいチーズを食べて。

自分の心の中で、それまでとは違った類の感情が生まれた事に戸惑った。
あれだけ「もう何も望まない」と言うのを徹底したはずなのに
優しい声や、穏やかな会話の中に安らぎを感じて、
それが自分を壊してしまう気がした。

それは、この島に行った時の思い。
この日からもう一ヶ月近く経っている。

永遠に届かない場所にしか欲しがっているものはなくて、
この生活を生き抜いても辿り着けっこない。知ってる。
ただ、自分の知らなかった喜びと出会う可能性を日常は秘めている。
キラキラ光る川、河川敷にまう桜の花、この世を讃える様な風景はどこにだってある。
目の前の希望は過去にも未来にも勝てる。


日々を重ねていくと、少しずつ、少しずつその思いも変わっていく。
それは悲しいくらいに自分だけの感情で世界は微動だにしなかったりもするし、
言葉や表情で装飾しても変えられない事ばかりで途方に暮れる。

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海の飛沫。
無数の生命を抱え込み、血の赤も透明に変わっていくような気がする。
まぶしい光をぼんやり眺める。

どこに行っても生きていける気もするし、
いつ死んでもかまわない気がする。

言葉にすればするほど、あの呼吸が止まる気がする程の一瞬は整っていってしまうから。
その衝動と、その激しさの美しさは心の中で名前を持たずに抱いているしかない。
それか、その痛みと激しさを共有するような何かに溺れるしかない。
俺は苦しい訳じゃなく道を誤った訳でも無い。綺麗すぎる夜空の罪だ。

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ふと、前日の事を思い出す。
俺の心って何でこんなになっているんだろう…と。

胸が痛い。
なんで愛されてるのに死んでも構わないなんて思ってしまうのだろうか。

何人もの恋人と…同世代の男性と比べたらおそらく多くの人と
真面目に恋愛をしていたので、気付くと横に誰かがいた(気がする)。
気付いたら一人旅に出れる環境も10年以上なかったんだな。

一人で感じる孤独と、恋人と感じる孤独は全く違う孤独だ。
どちらの方が寂しいのか…基準は分らないけれども
自分を好きな人がいるのに、自分が自分を好きになれないのは苦しい。
生きているだけで何かを裏切り続けている感じがする。

週末の公園、橙の空、桜が咲いてる。
この永遠に消えないと強く願う痛みのような思いさえ、なんてことなく日々にかきけされていく。
ただ、年老いて自分を振り帰る時に決して消えない大切な出来事に自分が包まれている実感を。
素晴らしく、絶望的に形を持たない情感のイメージを何かで世に残せたのなら。


音楽。
分りやすい方法で人と分りあえる便利なツールだと思う。

循環コードの安心感は心に馴染みやすく、
いつだってカノンのようで心を穏やかにしていく。
メジャーセブンスの響きは切なくて美しいし、
ナインスなんかが重なると、どんどん感傷的になっていく。

口ずさめるメロディは懐かしく、
ハーモニーは重なり合って生きる喜びとして響いたりする。
オルタードやらコンディミやら、複雑なスケールはスリリングに響き
シューゲイザーのような爆音の初期衝動は痛快で。


なんて下らないんだろう。

四方八方に自分の考えが飛び散ってるのを纏める作業にそろそろ入らないと
不自然になってきているなぁ、と。
まぁ、でもその他人から見ても、自分でもさっぱり行方不明な感じがいいっちゃ良いのかも知れないし。
何と言うか、怖い物が何もない状況って本来あんまり生まれないから稀有な状態とも言えるか。


結局、人には何も伝わらない。
そもそも自分が表現をしたいな、と思ったきっかけは疎外感だった。

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昔から人より少しだけピアノが上手だった。
ギターも何故か初めて持った時からなんとなく弾けた。
ドラムも叩けたし、エレクトーンで曲も作れた。

音楽をやっていて苦労した記憶ってあまりない。
それは苦手意識を持つ前に諦めてきたからな気もするけど。

強いて言えば高校生の時にギターを背負ってスタジオに行くのが嫌いだった。
バンドをしている時に機材を抱えて歩くのが恥ずかしかった。

音楽について語りながらスタジオでミュージシャン仲間と
ディスカッションするのが苦痛だった。
レコーディングの時に先輩のエンジニアさん達に気を使うのが面倒だった。

そう言う悩みは全部音楽活動の悩みと言うよりは
性格とか、人間関係の悩み。

この島で、頭に鳴っていた音をそのままパッケージできたなら
それはどれだけ美しいだろうか…と頭の中で2~3曲完成させたら
ため息が出た。

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重なり合う青に、まだ冷たい3月の潮風。
憧れだけで空に綴る誰かの名前に確かな恋心を感じていた。

それがどうしようもなく馬鹿げた気持ちな事も全部知っていたし、
別の世界にでも行かないと叶わない夢を見ている気持ちだった。

出会う前の名前を持たない月日を数える気にもなれず、
子供の頃の僕は、もう忘れてしまった何もかもを抱えて
憂鬱を噛み砕いていた。

軽く躁で実際、イライラした空気で地に足が着かなくて、なにも手に付かない。
けど、労働時間と制作意欲のバランスは悪くないし
「人を好きになる衝動」とか「重荷を感じる現実」とか…そう言う事も節操なく訪れ続けているし。
それを楽観も悲観もしないで受け止めるためには浮ついてる事も必要なのよね。




島から戻る。

三河一色。ついこの間まで名鉄の駅があった場所。
今は廃線になって一日数本のバスだけが行き交い、
寂れた商店街に人通りはない。

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最初からエネルギーがなかった訳じゃなく、執着して、色々あって、疲れてしまった。
とりあえず「よし、やるか」って言う決意表明すら疲れでどこにも繋がらない。
身体の疲れでも、日々の疲れでもなく、磨耗してしまった精神が全ての受け入れを拒否している。
そして、それは自分が求めていた状態に近い。


達観して見つめ直さないと現実が物凄く憎い気もするし…
でもそんな瞬間に遺伝子が覚えてる優しい記憶や、全てを超えた美しい瞬間がしっかり訪れるから
生きるって素敵だなって思う。
誰だって好きな人からのメールを待っている方が悩んで苦しんでいる時間より愛おしい筈で。
そんな当たり前に憧れてきた。


でも、そんな当たり前が盲目的に人を陥れる「躁と鬱」の前では無力になる。
それを感覚的に理解すると自分の本質を捕らえ直す事が出来てくる。
病名とか日常の悩みを無闇矢鱈と真正面から受け入れるのではなく…
えぐい変化球でも早いストレートでもファールで粘り続ける事が生きるって事だな、と思って。

常にホームランを打てないといけない訳じゃないし…
どんなに不公平なジャッジをされてもファールで粘るのでも良いし。
物凄い憂鬱でも次の打席もゲームセットまでは必ず来る。
そして相手を憎むなんて事はもってのほか。自分なりの哲学で粘っていれば、
何らかの形でヒットは打てるもんかもしれんのだし。

もしかしなくても大体の日に何も特別な事はおきない。
逆転満塁ホームランやら、そもそもそういう舞台で打席に回って来てない。
想像を絶するビハインドの前ではどんなに綺麗なクリーンヒットでも意味を持たなく感じてしまう。
だけど、そんな時に通算打率に今一度、目を向けれる強さがあればな、と思う。


真実ってなんだっけ?とか思うと、夢想家で居るには辛い事が多すぎたって言うか、
言い換えれば向き合ってる現実で満ち足りてる、というか。
真実って新鮮なサラダや新しいYシャツやそんな部分にしかなくて
自分をどんなに開いてアーティストとして心を開いても、そういう日常に対してはあまりに弱くて。

誰かの心に寄り添える作品を…と願うより声を大にして「セルフセラピーで良いと思う」って感じるのならば、こりかたまった自分らしさが作り出す虚栄心みたいな…そういう意味を作品に持たせたくないって言うか。
そこには奇跡は起きない、と言うか。ただ大切な人を感動させるピアノで奏でていたいのだ。

強いて言えば俺は多分…多分だけど音楽がやたらと好きな思想家なのだと思う。
一部の人の人生にカリスマ的に影響を与える事にはぬかりないと言うか…
その辺りのあざとさにうんざりする事もあるからな。
でも凄いって言われたくはないのよ。
飲んだくれの馬鹿目線に強い思想家としての自分の意思を感じる。

もっと幸運な感じでここでホームランを打てば逆転満塁ホームランになる、って場面が来るか来ないかは
自分で考える事でもない。
だからと言って前の打者の凡打や相手投手を憎むのも違う。
結局抗わない事と、なるようにしかならない事ってイコールだから。
そこで凡打を打つ自分も愛せないと生き抜けない。

それなりに好きな場所を訪れ、好きな物を食べ、お酒を飲んで…
好きな仕事をしつつ、大切な人が居て…それって凄く尊いことだな、って日々世界に教えてもらってる。
それでも少しだけ運命を恨んだりもする訳だ。
自分勝手だなぁ、と思いつつ。人それぞれが抱えた重荷の中でどこまで自分らしく行けるか…。

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salyuの THE RAINを聴いてる。

窓の外は雪だけど。
雨に打たれて歌う。痛みと踊る。

いつだって、いつだって。
思いはまとまらない。

心を蝕むのはいつだって優しさだ。

護られていると言うこと。

さて上洛の続き。

街に出て来てからの写真はこの次の日の方が多い。

京都で毎回のように会う友人の仕事が終わるまで街を歩く。


ここは京都に行く前から立ち寄ろうと決めていたギャラリーH2O。
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京都のアート分化と言うのは本当に独特で、
生活に根付いているので不思議な錯覚に陥る。
おそらく街の歴史がごったがえしていないので
地に足がついている哲学を持っているのかな、と思う。

逆に地に足がついていない人には冷たい街でもあると思う。


今宵堂の酒器展 『男と女のババンバ・バンバンバン♪』と言うのを
何だったかな、ネットの何かで見て。
京都のギャラリー情報とかだと思うのだけれど。

訪れた前日から始まったばかりで。

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ギャラリー全体が銭湯に姿を変えて、
入り口で男女で必ず離れると言うようなコンセプト。

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今宵堂さんのくすっと笑えるような夫婦の酒器たち。
この展示販売の外では熱燗を呑める粋な場所もあり。

先客のおじ様といっぱい杯を交わさせて頂いた。
それなりに寒い二月の京都で熱燗をぐいっと。
日本酒談義に話を咲かせて。
お互い本当に「こいつは酒が好きなんだな」と言うような笑顔で。
別れ際おすすめのお店を教えていただいて。
この時教えてもらったお店に本当に訪れる事になるとは
思っても居なかったので人生と言うのは面白い。

北野天満宮の梅花祭から始まり、タイミングと言うのは自然とあってくる。
何もかもが計算されているような感覚を伴ってくると、
その目に見えない計算式に感謝をしたくもなる。
暮れゆく小路で思う運命論。

もっきり(なみなみと注いで枡に日本酒があふれるあれです)の組み合わせを
購入して、かわいい箸置きも同時に。
生活を豊かにするような一品たち。

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あ、お猪口の写真も忘れてた。

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素面の箸置きをひっくり返すと酩酊と千鳥足になる将棋駒の箸置き。
ほかにも沢山あるのだけれども、一番好きなよっている状態が「酩酊」なので。
なんかdownyを思い出すね。
「酩酊フリーク」っていう格好良い曲があるのです。

第三作品集『無題』再発

第三作品集『無題』再発



そもそも京都では器を買おうと言う気持ちがあったので
もう幸せだよね。
朝っぱらから呑んでいたので、もうほろ酔いモード。

(ってかさっきまでの文章と打って変わって報告みたいな文章ですね)

友人と合流してからの事は文章で書くようなものではなく
凄く友達と会っている時の心の躍動感があったな。

軽くたこ焼屋で飲んだ後、銭湯に連れて行ってもらった。
銭湯のギャラリーに行った後に銭湯に行くのだから笑える。

サウナに入って、水風呂に入ってを繰り返すと
何も考えられなくなっていくような不思議な感覚。
のぼせる…の究極、それを僕に味合わせたいと思っていた、と。

露天風呂のお湯が注がれる音が目を閉じると川の音に感じて
その川に笹が流れて来て、そこに悩みとかを乗せて
その乗せたものが流れて行って心が軽くなっていく事をイメージする、と。
それが座禅とかに近いらしい…凄く判る。

翌日、東山のART FORUM JARFOで行われていたグループ展「ニジイロノタネ」に
立ち寄って、ワークショップ…と言うのか自由に丸に絵をかける所に
その時の話のイメージを書いた。

雑念というよりも、解決しないもやもやの塊。
川は流れていく。
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海でこの黒い塊は蒸発してまた降り注ぐ。
だからまた流す。
それは三条大橋だったり、人によっては銭湯だったり、
どこでもいいけどとにかく流す。流し続ける。


色んな答えを持たない丸が浮かんでいた。

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端っこに。

この京都に行く時に前に書いたけれど、
Mr.Children REFLECTIONを観に行っていて空前の「放たれる」ブームが来て。

どうも「REM」も「放たれる」も映画の為の曲…みたいな感じで
穿って捕らえていたのだけれども逆転したなぁ。

 

「青天の霹靂」をレンタルして見たのだけれども、
これが個人的に凄く好きで。
どうしようもない事を、どうしようもないと受け入れてから
やっと人生の楽しさが見えてくるような…
最高の人生なんてのも、最低の人生なんてのも
多分この世には存在しないのだろうな、と。

世の中には色んな名言や格言があるけれども、
タイミング次第で響くかどうかは変わってくるし
スタートラインは決して平等ではなく、
不意に訪れる悲劇や、因果のような不運は心を削り取っていく。
そんな中で自分が生きている理由を知る為に生きているし、
生きていると理由を教えてくれる誰かと出会うかもしれない。

それがもう過ぎ去った過去になっていても、
思い出の中では人は永遠に強く輝き、永遠に酷く傷ついている。

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「放たれる」という事。
自分が縛られていた何かから開放されていくイメージ。

それが家族や思い出を奪った津波でも、故郷を奪った原発事故でも、
家庭内暴力、いじめ、両親の離婚、学生時代の失恋でも、
人は放たれていかないといけない。

生きると言う事を賛美する事、したいと願う事は
生きている人が自分を肯定する上では永遠のテーマ。

神様が居ても、居なくてもそんなのはどうでもいい事。

その当たり前は、当たり前では無いと言う事が、
自然と受け入れられたなら、どれだけ楽だろう。自由だろう…。
生命が、人間が病の器なら割れる事だってある。
その脆さを否定しても誰も報われないし救われない。

愛に満ちて、絶望に満ちていく。
無意味な飽和から少しずつ自分を放つ。

あれ、流れていくと放たれるとの線引きが曖昧だ。

あぁ、REFLECTIONは全23曲入りのUSBアルバムだとか。
それがどういうものなのか、漠然としかイメージできないけれども、
物凄い熱量が放たれているのだろうな、と。


この日、京都は雨だった。
誰かの悲しみが、あるいは生きた意味が
そっと景色を染めていた。

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淡く静かな清水を回り、五条坂を降り、
学生の笑い声や、観光客の大声を背にバスで東山に抜け、
上述のギャラリーを見てから地下鉄で鴨川に戻った。

 

 

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昨日とは違う「いつもの交差点」があった。
また違う川の音が響いていた。

自分と世界の境界線がぼやけていくような安らぎを感じた。
忘れていなくても、ぼやかしていく事は出来る。
鈍い悲しみ、苦しみにピントを合わせなくてもいいのだけれども、
芸術作品と言うのはその主眼点を描いている事も多い。

悲しみが、悲しみと重なり、それは悲しみではなく
もっと大きな何かに姿を変える。

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雨で寒くて、観光地に行くのも億劫だし
夕方まで烏丸の京都芸術センターで本を読んでいた。

 

 

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真面目に考えすぎて「そういや、お酒飲んでないなぁ…弱ったなぁ」
なんて思って伏見桃山に行ってひっかけたりして時間をつぶし。
昨日教えてもらった日本酒バーに友人を誘って尋ねた。

木屋町の辺りは面白い。

「日本酒BAR あさくら」さんというお店。
今まで友人と呑んだ酒で一番旨かったなぁ。
一生忘れないな…あの酒は。

銘柄とか、味じゃなくて、いやそれも勿論あるんだけれど
全部の思いを呑みこめる酒。

この日はまだ自分の中のどうしようもない恋心とかも
そんなに見えて無かったっけな。

また京都を尋ねて、たまたまお店が開いていたら寄りたい。
狙って呑めるものではないのだ、美味しい酒は。

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帰宅して数日後、考えすぎで久しぶりに知恵熱を出して倒れた。
3月2日の事。

風邪ではなかっただろうけど、ひたすら具合が悪かった。
でも、二月を一日のダウンだけで乗り越えれたのは
この京都の旅があったからなのだろうと思う。

相も変わらずのとりとめのない文章ながらに
やっと京都のBlogを書く気分になれた朝。

まだまだ今に追いつかない。
そもそも何年も前の自分すらまだ消化してないのだから。

どうしようもないな、本当。

廻廊の中で。

お久しぶりです。


前回の更新が26日前と言う事なので
大分更新できないで居たと言う事なんですがものすごく悩んでました。

色々なところを訪れましたけど、
なんと言うか…自分の中で創作意欲と言うよりも、
もっと神聖な部分に足を踏み込んだ感じになった気がして。

正直なところ「これから音楽になるであろう」経験値は沢山積んだと言うか、
そういう意味では苦手な2月~3月上旬は凄く
うっちゃるように心を開いていけたかな、と思います。
沢山の友人が待っていてくれた、と言うのもあります。ありがとう。

まずは二月の京都。

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松尾大社で自分に流れる気を穏やかにしていく。
スマホが普及してからは、どうしても常に繋がる意識が強いから
「自分のためだけ」って言う贅沢な感じは減っている気もするけれども
それはつまらない事ではなくて…ツイートをしていると思うのは
(誰かが見ているのだろうか)とか(誰も興味ないんだろうな)とか
まぁ、大概そのような事なのかもしれないけれども、
特定の誰かの顔が浮かんで呟く事なんて一年に数回あるか無いかなので
贅沢に穏やかな時間や綺麗な空気を心に吸い込む瞬間に
「小さい存在ながら自分を生きているなぁ」と、すーっと感じます。

 

同時に地球、宇宙の終わりや時間の果てとかにも
トリップするような…そこにしか大切なものが無いような寂しさもあるな。

観光Blogとかでは無いので細かい事まで報告はする気になれないけれど、
2/25日だったので北野天満宮は梅花祭。
流石に綺麗だった。

今年、生まれて初めて「あぁ、二月は梅なんだ」って知った。
知ったと言うかそれを綺麗だと思って、その瞬間を信じれた。

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皮鯨の唐津焼のお猪口を1万円で買った。
後で写真は載せますね。
限られた時間の中での邂逅、その絶対的なリアルに触れると、
そこに流れる〝なにか〟に尊かれつづける人生、それに身をゆだねていれば
良いんではないか、と思う。

悲しみも、苦しみも、喜びも、なるようにしかならないけれども

二者択一で。

自分が選べる事と、自分で選べない事。
それを否定すると辛いだけだし、徒労なんだよね。
曲が出来るか、出来ないか…それは僕も知らないし、
曲が出来た瞬間に特別な事をしていた記憶も無い。
良い写真もそうだな…殆どなすがまま、とか、あるがまま、とか。
それで良い。

嵐電で「御室仁和寺」駅に移動。
どうせ蕎麦でも食うのかな、と思っていたんだけれども
駅前に無国籍風と言うか、ノマド風と言うか
「ファミリーキッチンPu」と言うカレー屋さんがあって、
興味を惹かれて入った。

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この日の御室カレー(日替わり)は
鹿児島県 喜界島産 無農薬白ゴマを使った坦々カレー。
まろやかで美味しかったな…。
仁和寺の門前でカレーを食べるって言うのも修学旅行ではありえないし、
もちろん酒もそうなんだけど、自分を自分らしくさせるものは
集団…同調…そういう学校生活や、友人と巡る観光地ではないな、と。

「右京じかん」と言うフリーペーパーをもらい眺めた。

それぞれの街にそれぞれの生活があって、
旅と言うのは誰かの日常にお邪魔をするようなもの。
そこにはそこの日常のルールが確実にあって、
それは「この街の人は何とか小学校の学区」とかでもいいし、
夕方5時のチャイムでも、お気に入りの飲み屋の定休日とか、
帰宅時になんとなく調べる終電の時間とか…なんでもいいんだけど、
外からでは知る事の出来ない世界があって、
その凄く個性的な世界がこの世には沢山存在する事を忘れていると、
自分の日常がとても窮屈に思える。

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(写真は雙ヶ岡の一の丘から眺めた京都)


だけど、ふっと無数の中のひとつの自分が、
時間や距離を越えて共鳴したりする瞬間は生きている感じがします。
営んでいると言う事は、そういう事だな。
自分らしくある為の連続性は「死」ごときでは切れない。
永遠に近いかそれより長い。
容易く言葉に出来ないものを表現するのは難しい。
それは音や絵や…それが補うのかどうなのか…こころだって考え中。
魂が焼き切れそうな思い。

街に戻る。
JRの花園駅まで歩いて二条に出て、地下鉄に乗り換えいつもの京都へ。

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三条大橋の時間の流れはとても愛おしい。
ここでは時間の流れが川の流れとオーバーラップする。
そんな時間の淀みで青い鯉たちはぐるぐる回り、
湖で滞ったりしながら、深い海で蒸発して山に降り注ぐような。
それは輪廻そのもので、世界は宗教そのもので、
与えられる名前が雨でも、雪でもそれは神様が微妙なさじ加減で決める。
恵みと呼ばれたり、災害と呼ばれたり、人は自分勝手だ。

この日はとんびが多かったな。
前は本当にカラスが飛んでいたんだけれど、思い返すと
あのカラスは舞うと言うよりもスーッと消えるように遠ざかってた。

三条を歩きながら椎名林檎の「茜さす 帰路照らされど...」をイヤフォンで聴いた。
三条通川端通の交差点こそが僕にとっての
「何時もの交差点で」を思い起こす交差点なのだ。

宇田川町でも、瀬田でも、片倉高校前でも無く。
あぁ、そう言えばロビンソンにも「いつもの交差点で」って歌詞があるな。
ここでブログを書いている僕はハチミツなんぞを聴く訳です。

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三条大橋を渡ると自分の人生が違うステージに入る気持ちになります。
特に理由は無くて、多分それは思い込みとかだと思うのだけれども、
そう思うのだから特にその感覚を誰と共有できなくても仕方ない。

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考えるだけ、トリミングするだけで自分の世界を創れるなら容易い。
キャンバスや五線譜。そんなお洒落なものが無くとも
目。耳。手。その他もろもろの自分を動かす。


誰でも知っているのかもしれないけど僕にはよく判らない事もある。
インプットは感じる事では無いし、アウトプットは創る事ではない。

長くなりそうだな…とりあえず一度この辺りでティーブレイク。

半田雄翔 / Escape from Depression 2004-2014


"半田雄翔 /Escape from Depression 2004-2014 by [Rejecreate Label】 - Hear the world’s sounds"


ここまで10年間の音楽を通して聴いた事がなかったので
時系列順で音源をまとめてみました。

これがソロアルバムではない事は確実なのですが、
自分の曲だけなので不思議な感覚で通して聴きました。

安売りされてく、そして確実に安くてハイクオリティな世界観を作っていく事が出来る時代になって「心を削って音楽を作る意味」なんて希薄化していくのだろうし、
現状この熱量の価値を信じれない自分も居るけれども…
自分が“自分を通して”みてきた世界が美しくて儚くて、
いつからかその世界感が自分を生き辛くしていった。
16歳から26歳までのいわゆる多感な時期に、その世界は誰とも判り会えずに孤独だった。時系列で聴いてその宿命みたいなものを感じたし、少しずつ音楽を世に出す方法も変わって行ってる昨今。
「死ぬまでに一枚、この世に信じた刹那を刻みたい、そんで持ってとっとと死にたい、あまりに辛い」とか、思い出しても苦しい日々だったけれど、
去年から一年ただ山や海、神社に行って、季節の花を見て、美味しいお酒を飲んで、
音楽からは本当に離れていたし。
時代から感性がずれて行っても自分は自分で居たい。

2004年に僕がシンセサイザー(MS2000B)を買って、Telecasterを弾きまくって
ZOOMのMTRで録っていた曲から、
自作PCの為に必死でバイトをしてCubase SX3と格闘したり、
Pro Toolsでミックスを勉強し、WaveLabで必死でマスタリングしたり、
作曲事務所に入って仕事を始める矢先に、鬱病になり、
10代の終わりに音楽制作の学校を中退したり。

ビクターのマスタリングセンターで聴いた曲も、
高円寺GEAR西荻窪ターニングで、チェルシーホテルやOーEAST、
渋谷屋根裏や下北沢251、LastWaltzでボロボロになってかき鳴らした曲も。
乃木坂のOpenmindの皆さんに悩みを相談していた日々も、
Plate TectonicsもReject Minority.もRelations without the nameも
(まぁ、God Modeも…)
斉木さんと色々な事を話した渋谷での日々も。

何と格闘していたのだろうか…と思うけれども、
そろそろ自分の手から離したい。離れて行って欲しい。

曲たちは曲たちとして自我を持ち、
僕が感受性に傷つけられた10年に紡いだ意味を越えた「輝き」を
これからは曲自身が持っていってくれたらとても素敵な事だし、
深く考えないで「あ、これ好きかも」みたいな軽さで出会ってくれたら、
そこには僕の人生の悲しみを越えた音楽の強さが芽生える筈と信じて。


それだけは信じさせていて欲しい。

アーティストとしての誇りを胸に。
僕は何も変わっていないから。


誰かがこの心と感受性を削りながら紡いだ音楽たちと
今日でも、明日でも…遠い未来にでも
出会って何度も聴いてくれたら、どれだけ嬉しいだろう。
報われるだろう。

ポピュラリティを得れる事を知っている自分のメロディが
社会的なヒットを放つより、それが僕の音楽の力。
信じたい芸術作品の価値なのかもしれない。

二月の京都で振り返った自分はとても苦しそうだった。
これから先もそれを繰り返すのだろう、という覚悟と共に
世界は自分を護ってくれているのだ、と感じた。

自分が特別な環境に育ち、人と違った病気を持ち、
ただ、だからこそ感じた世界、生まれた音楽は
きっと誰かと共鳴する筈。



先ずは通してこの一時間にも満たない12曲を
聴く時間を作って欲しい。

まだ出会った事のないリスナーの皆様(もちろん追っかけてくれるファンの方も)
…社会で生き続ける事を選んだ方の心へ送ります。




半田雄翔

色彩の無い町

「頬にふりそそぐ十二色の外は光と風のハーモニー」
「いつでも心は 雨のち晴れ」

色彩都市って素敵な曲にそんなフレーズがあるけれども。

この日は曇り時々雨。
雪の予報もあったけれど、去年と違って今年はあまり降らないね。
タイムラインで見る「寒い」っていう程の寒さはないな。

見渡す限りのモノクロームに輪郭を持たない重たそうな雲が立ち込めてる。

 

こんな場所に行って来た。

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特急が止まるので何かが有るのかと思ったけれど、
改札をでたイメージは地方の空港…青森だったら三沢空港

そんなようなイメージを持つのは航空自衛隊入間基地が近いからなのか、
コンコースの窓から見える景色が殺風景で
人が利用する存在価値に見合わない寂しさに自分が重なるのか。

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空虚。

この日は昔からミスチル好きの母と
入間の映画館に『Mr.Children REFLECTION』を観に行って来た。
(鍵盤を弾く僕には武史さん不在のミスチルと言うのはかなりきついのだけれど。)

ロックが頼りなく鳴り響いているのを聴いてかなり切なくなってしまった。
怠惰なカップルが数組、ポツポツと座っている感じも相まって。


僕はSENSEと言うアルバムを一番好きで。

なんせ枕元にSENSEのジャケットを部屋の壁に飾ってあるし。
RideのNowhereやエコバニのHeaven Up Here、BTのESCMなんかと並んで。
まぁ、海ジャケフェチでもあるのだけれども。

飾ってあるのはね…(アフィリエイトじゃないよ、笑)

Nowhere: 20th Anniversary Edition

Nowhere: 20th Anniversary Edition

Heaven Up Here

Heaven Up Here

ESCM

E.S.C.M.

Since I Left You

Since I Left You

Faithful

Faithful

SENSE

SENSE


こんな感じ。
ジャケットは何となく統一感があるけれども
ジャンルは徹底して驚くほどバラバラだなぁ。
全部聴いた事がある人は僕と音楽の話をしても大丈夫かも。

まぁ、デザインが好きで飾っているって言うのもあるんだけど。
(赤と青の混ざり合わない帯も好きだし)
どれも音が大好きな作品達でも勿論あって。

それを雑誌で「小林さんが引っ張ってくれているアルバム」と
言っていたし、僕も鍵盤の音が引っ張るサウンドがとても好きで。
(まぁ、ギターロックなのかは分からないけれども…。)


その話はまぁ…良いか。笑

そう言えば、去年の年末のsalyuさんのライブで
坂本美雨さんが歌うThe Other Side of Loveを小林さんがピアノで弾いていて
とても美しかった事を思い出した。
教授の演奏は繊細で…そう言う意味では小林さんはダイナミックで。

小室さんのピアノ伴奏はダイナミックって感じじゃないな…。
僕が一番近いのは小室さんのピアノ。
理由は分からないけど…誕生日が同じだからかな。





さてさて。
心の調子を崩していて…なんとかギリギリ生活を維持できてるってレベル。

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よしもとばななさんの「鳥たち」をゆっくり読んでいたのだけれども、
心の陰とか、絶望的な事、どうにもならない状態を受け入れて行く事を
常にばななさんは書くから、ズキズキしてしまって一気に読めない。

自分が抱えきれなくなってしまう瞬間って言うのに
(それはしばしば夢で)襲われることが多くて。

必死で押し殺しながらの日々は、限りなく続いていくし
それはとても辛い事なのだけれども、
いつか自分が自分になれれば…せめて「葛藤」とか「苦悩」とか
そういう言葉で形容できるようになったら良いな、と思う。

 

 

以前より、客観的に自分を見ている気もする。
それと同時に冷ややかに周囲の人間を見ている気もする。
良いのか、悪いのかはわからないけれど。



自分の持っている可能性があまりに小さい事。
未来がどうであれ、過去の悲しみが消えない事。
その悲しみだってたかがしれたものである事。
大なり小なりみんな何かを抱えていて、
たまたま僕は人よりそれが自分で決めれなかった事が多かっただけ。

生きながら楽になる為には自分を守る壁を正しく作って、
心が求めようとする栄養素をしっかり与えて、
飲み込もうとする毒を排除して。

そんな作業を日常に落とし込んで行けば、
死と再生のサイクルの中で、自分も淡々と過ごせるんじゃないか…と。

 

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オープンリールとかを想像する。
命って終わりに向かって再生されている感覚に近い。
その途中には色んな要素が焼き付けられていて、
でも、そこにはさみを入れて切断する事って残酷だな、と。

早送りも巻き戻しもなく、
ただ再生されていて、今日と言うまたとない一瞬。
それを必死で受け入れるために、
自分と言う存在を、観客のように眺めているだけの自分がいて。

音楽を作ったり、文章を書いて居たりすると
その観客になっている気分になってきてすーっと楽になる。


喜劇でも、悲劇でもないストーリーは続く。
命に寄り添うように、太陽が昇って沈み、景色が移ろう。

情緒不安定な神様が創った情緒不安定な世界では
争いや災害が絶えないし、それに対して自分が何かを出来る訳でもないし。
(何かを出来ると思っている人間を僕は好きじゃない)

信じていても叶わない事ばかり。

一度映画館で聴いただけだからぼんやりとしか覚えて居ないのだけれど
ミスチルの新曲のフレーズに
「変わらないのは変わっていくと言う事だけ」
と言うようなフレーズがあって。

そうなんだよなぁ、と思った。



並々と注いだビールもすぐに泡が消えてしまうから
一番美味しそうな瞬間を写真に残すのは案外難しい。


経験は指針であると同時に、未来を強烈に縛り付けてくる。
自由に飛び交う魂になる為には、人の感じる生きる事の連続性はいささか窮屈だ。

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来週は京都に行きます。

 

 

 

その音で、その静寂で。

10日の仕事が終わって、夜たまらなくなって八王子の親元に。
メンタル的に若干弱っていたと言うのもあって。

どう言う感じか、と言えば仕事で着るYシャツのクリーニングに
行く気力がわかないと言うか…まぁ、そんな感じ。

Lali Punaのライブに行ってきた。

Lali Punaが約10年ぶりに来日公演、2月に一夜限り開催 - musicニュース : CINRA.NET


Lali Puna Live in Tokyo 2015 with special guest TRAMPAULINE」

だけど、その前に…猿橋に行ってきた!

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八王子の親の家から午前中に向かうのに最適な田舎…山梨は大月。
川越からだとえらく遠い気がする。
(特に電車だとね)

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世界は想像も出来ないくらい広い事を知っていても、
猿橋からライブハウスに行ったことのある人は少ないのではないか。

そう考えると、自分にしかない人生を生きている気持ちになる。

Lali Punaというバンドを最初に聴いたのは高校一年生の時。
きっかけが微妙に思い出せないのだけれども…

でも、スケッチショウとかも盛り上がっていた時期だったし、
中学校の時からYMOが好きだったのでラジオとかで聴いて
買ったんだと思うのだけれども…。
(Come On Homeと言う曲をラジオで聴いた記憶はある)

「ラップトップは電気羊の夢を見るか?」の時代。




猿橋エレクトロニカを融合できるくらいには僕も大人になった。

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高校生の時からmorrの音楽は好きで。
特にLali PunaのScary World TheoryはMDに焼いて
電車の中でよく聴いていた…15~16才の頃。


ManualのUntil Tomorrowとか
The Go FindのMiamiとか
Ms. John Sodaも、Styrofoamも、DUO505も…まぁ上げたらきりが無いけど
刺激を満たしてくれる今の音楽の象徴が
morrだったりCCO (City Centre Offices) だったり…そういう時代の人なのだ。
電子音響のポピュラリティーは心象風景を奏でるツールになる…と、
盲目的なまでに信じきっていた。

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猿橋を歩きながら色々な物を見る。
高校生の時に自分が感じていた全ての事を見ている景色に重ねる。

今いる場所は狭くて、狭くて息苦しいのに
誰かが言う未来は無駄に広い…そんな作られた自由に向かうだけの日々が
ぶち壊せないかな、とシンセサイザーテレキャスに思っていた。

それを代弁していたような音を奏でるのがLali Punaの…あるいは
The NotwistのMarkus Acherだった。

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今でこそ日本のロックシーンと言うのはある程度それを支持する若者がいて
それがひとつのフォーマットとして成り立っているけれども、
この頃…10年前はそうじゃなかった。(と、思う)

僕らはひたすら音楽で食っていく為になにをするべきか試行錯誤していたし
その全てを楽器にぶつけている友人達を見ては
「羨ましい」って思うくらいには俺は彼女とだらけていたし。

でも…誰よりも真剣に音楽と向き合う時間も持っていた、かな。

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猿橋桂川を見て、蕎麦をすすって、ビールを飲み、
中央線でうとうと。



自分の現在の心が当時の自分にどう思われるか。
下らないとわかっていても毎日、考える。
夢で見る自分はまだ音楽に対して真剣に向き合ってる。
そして今の自分もそれに負けじと音楽を続けている自分の心と向き合ってる。

僕にとっての僕はどんな人だったのか。
あの頃の僕をどれくらいちゃんと護っているのだろうか。
呟いた140文字。

「10代の頃から憧れてたMarkus Archerが目の前で音を鳴らしてる奇跡に
 心がもぎ取られてるみたいになった。
 新宿タワレコの9階で誰とも感動を分かち合えずにいた
 音楽ばかり作っていた15才の自分に「早く一緒に音楽しよう?」って
 言われてる気がした。寂しそうな彼を向かいに行きたいな。」




サインをもらった。

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高校生の頃の自分が必死で探り続けていたおと。
「ポップなのに今までになかった音楽」
を、教えてくれたアルバムにMarkus Archerと握手をしてサインを。

うれしい…心が震えた。


ライブで聴くFaking the Booksの曲たちは偉くラウドで。
それは「大人を馬鹿にするな」といわんとばかりに
子供っぽいけど確かに大人の音楽だった。


よくあるフォーマットに収まりたくないのに
そう言う道を選んだ(もしくは元来そういう類の)友人達の方が評価されて、
悔しいって思わないようにしても、将来への不安が
全ての冷静さを損なうくらい唸っていて。


「あぁ、俺にもそれくらい出来るよ」みたいに思いつつ
実際やってる人の前では、そんな感情はどうにもなんなくて。



とにかく心を穏やかにする時にLali Punaを聴いた。
The Notwistを聴いた。

こんなに格好良いのに「先生」たちに評価されてるあいつらは
それを知らない。
だから、知ってる俺は俺にしか出来ないことをしてやろう。

そんな具合に。

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自分より若い音楽家が売れているし、
それをなんとも思わない自分も手に入れた。

今の生活をそれ相応に好きだし、認めてくれている人が多い。
でも、そうじゃない!って声を大にして15歳の自分が叫ぶ。

そろそろ一緒に音楽をしたい、と彼に言われるし、
そろそろ一緒に音楽をしようか、と僕も思う。


心の中で壊れかけていた自分を自分らしくしてくれていた音楽への思いを
その情熱の余韻の中で魘されている様な。

誰にも伝わらない日々を伝えようとする努力だけは
続けていたいと思った。

 

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朝を奏でる

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晴れた日の午前というのは、太陽の動きを午後よりも強く感じられる。
月の満ち欠けとか、気圧配置とか色々なものに
心も身体も反応して、結構具合悪くなったりもするのだけれども
そう言うのって科学的、医学的じゃなくて良いと思っていて。

自分がそう感じたらそうなのだ、と何事にも思う。
それは朝の神社の境内にすーっと神様が通るみたいに、
自分の神経が洗われるような…自分が例えどこにいてもだけれど。

この日は午後から川越の音楽を楽しむ人達と
ボウリングに行ったりする予定があったので近場に…と言う事で
まずは西武新宿線に乗って上石神井まで。
(しかし、この電車は本川越から小平くらいまでが長い…)

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陰とか、こんがらがっているものは昔から好きで。
やっぱり一つの芯(電柱)に、色んな使われ方とかがあって雁字搦めになるのは
どことなく人間の日々に似ているし…
別にこの電柱が「本当は自分の足下だけを照らす街灯でありたい」かは
知らないし、さておいて。


石神井から千川通り、青梅街道方面に歩いて行くと「井草八幡宮」がある。f:id:Yuhi_Handa:20150209065204j:plain

近くに駅もないから(荻窪西荻窪、それこそ上石神井からバスが近いかな?)
いつもひっそりとしていて。
とても23区内だけど綺麗な気が溢れている好きな場所です。
境内が広くて、日向と日陰のバランスが良いのかな。
強すぎず、弱すぎずとても日々の生活に溶け込む感じ。

この日は寒いなりに陽射しは春っぽくもあり、
まぁ冬晴れっていうのだろうけれども。
これも理由はないけど「しっくりくる」感じだった。

一昨年の秋にリハーサルに行く前に、ここに立ち寄って
小一時間、心を沈めたのが最近、休日を神社で過ごす原点でもあるし、
(それは誰よりも大切な人の助言でもあったし)
特別な場所です。

境内を出て、鳥居をくぐると直ぐに車の行き交う街道。
街は何を讃える訳でもなくても、
生命が繰り返し続いている必然の現象として動いている。

乗用車も、トラックも、タクシーも、パトカーも…。
霊柩車だってそんな象徴かもしれない。
日常じゃなくて、魂自体の一つの転換期みたいな意味では。

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そう言えば秩父に行くと、いつも葬列をみるんだよなぁ。
あれ何なんだろう…セレモニーホールが駅から近いっていうのもあるんだろうけど
個人宅に花輪が並んでいるのもよく見ている気がする。

ちょっとだけ祖父の葬式を思い出す。
八戸の狭い庭ではじめて運んだ棺とか。
玄関の門の段差が結構大変だった事とか。

 

 

植物。

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葉の無い樹が立ち並び、ただ僕は似たような木々の枝の先を眺め
「みんな違って、みんな良い」みたいな発想に心の中で
虫唾を走らせてみたり。

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尊敬すべき秩序を感じる。あるべき場所にあるべき姿。
そこから全てに正直に生きていられる彼らへの心からの尊敬や、羨みなどなど。
自分の理屈っぽいのに純粋な正しさがたまらなく嫌な事もある。

 

 

 

 

午前10時半過ぎには阿佐ヶ谷に。
今日の目的地はここの神明宮。

毎週第一土曜日に蚤の市( 神明宮我楽多市 )があると記事で読んで
どんなものだか、足を運ぼうと。

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川越も28日に成田山別院で蚤の市があるのだけれども
中々それにあわせて休もう、という感じでもないので。

凄く参道は賑わっていて、
僕はここに神明宮がある事をこの日まで知らなかったので、
阿佐ヶ谷の北口直ぐがこんなに整っていると思って居なかった。
毎日をただ通り過ごしていると、日々の中で直ぐに欠落してしまうな、と実感。

それは情報も感性も。

備前焼のお猪口を買って。

さて、
蕎麦屋さん。

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南口を商店街からはそれて、荻窪よりの住宅街にある
「手打ち蕎麦 やの志ん」さんで至福の時を。

待っていた訳ではないのだけれども、
適当に街を歩いて、お店の前に着いた時にちょうど
おかみさんが支度中から商い中にひっくり返す所でした。

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お蕎麦、本当に美味しかった。
僕は蕎麦通ではないけれども、酒呑みと言う意味で
感動するようなお店だったな。

最初にあったおかみさんとも色んなお話をさせてもらって。
最近フェイバリットな日本酒の「盾野川」がお品書にあったりして、
そんな話もしつつ…さすがにボウリングの前に泥酔するのもなぁ、と
少しだけ控えめに鴨汁で呑んで…いや、幸せでした。

別に何も知らずに街でふらりと入るには申し訳ない感じが。
ありがとうございました。ご馳走様でした。
都心に住んでいる方におすすめの蕎麦屋を聴かれたらここを教えるかも。

 

 

14時には川越に戻ってきて、皆さんとボウリングへ。
アベレージが辛うじて100を越える程度。
まぁ、7年ぶりとかだと思うのでそこまで悪くなかったと思う。
いや、よくも無いのだけど。

駅の近くの以前、数回足を運んだ居酒屋さんで
串揚げや刺身の盛り合わせを食べながら、夜中まで呑み。

「あぁ、たまには人と話すのも楽しいなぁ」なんて感じて。
そういう感情がまだある事が妙にうれしくて、
でも、あんまりその楽しさに慣れたくないな、とも思うし。

今日はBlog書きながら教授のCHASMやÁsgeir
今はMogwaiのHappy Songs For Happy Peopleを流していて。

音楽、仕事、ひとりのじかん。
知らない感情や表現を知っていく喜び。

そんな尊いものに囲まれても繰り返す「ないものねだり」
それが永遠に失って行く若さや、取り返しの付かない過去の失敗や
何に向けられているのかは、ぼんやりとしか分らないけど
回復して行くと同時に年老いていく自分自身を
確かめるように、一歩ずつ。

そんなところでしょうか。

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最近読んだ本の事、志賀直哉の事を書こうと思ったのだけれど、
少しだけピアノを弾く時間も欲しいので。

では、今週も良い日々でありますように。